R18恋愛官能小説 青山倉庫

69H

09. 香り


 青い木漏れ陽をハイヤーの窓からぼんやりと見上げ、昨日までの激しい雨はすっかりやんで、ときどき覗く青空に入道雲が浮かんでいて、あたしの視線はルームミラーに映る青ざめたあたしの顔にとまる。山道を登りきれば温泉宿に到着するのに、病人のような顔で座席にもたれて一言も発しないでうつろな眼差しでときどき空や流れる景色や腕時計を見ているけど、ほんとうはあたしの目にはなにも映っていないのかもしれない。
「夏美、もうやめよう」
 一週間前、裕司のほうからそう切り出した、よりによって営業先からの帰り道に立ち寄ったファーストキッチンで、煙草を吸いながら。裕司はチェーンスモーカーだから近くの喫煙席のないマクドナルドには寄らない。あたしは煙草が嫌いだったけど、裕司のことは愛していた。でもその愛が罪業を深めていくことは最初から承知していた。裕司には奥さんがいたから。それでも好きだった、好きで好きでたまらなかった。それがファーストキッチンで煙草を吸いながら最低な脚本家の書いた昼メロ以下の酷い台詞でくどくどと言い訳を始めてしまって、あたしは今までのことすべてが音を立てて崩れていくようで、耳を塞いで、もういい、わかった、とだけ応えた。
「玄関先まで回しますか?」
 急に運転手さんに聞かれて、あたしは首を横に振る。
「すいません、ここでいいです」
「歩くと、まだ結構ありますよ」
「大丈夫です」
 あたしはハイヤーを降りて、道路脇の古ぼけたバス停から砂利道に入って、丸太の階段を上る。階段は途中で分かれていて、あたしはぼんやり考え事をしていたから、間違って川原に通じる階段を下りる。川原は丸い大小の石がいっぱいで、あたしは石から石に渡って歩くけど、すぐにバランスを失って、足首を捻って盛大に転んでしまう。小さな旅行バッグの口を開いていたから、ポーチとか折り畳み傘とか扇子とか飲みかけのミネラルウォーターとかハンドタオルとか携帯とかをぶちまけてしまう。あたしはどうでもよくなって、ごろんと仰向けになって、直視していると目が痛くなるような真っ青な空を見上げたまま、ああどうしてあたしはこんなにみじめなんだろうって独り言ちて、急に涙が溢れてくる。
「大丈夫ですか?」
 あたしを人影が覗き込む。空の色より濃い藍色のTシャツを着た男の子。グレーのジーンズの裾を巻いて、裸足で大きな岩の上に立っている。
「どこか痛いんですか?」
 男の子がしゃがみこむ。あたしは涙を拭って、上半身を起こす。精一杯微笑んでみせる。
「大丈夫よ、転んだだけ」
 男の子はあたしがばら撒いた荷物を拾ってくれる。石の間は水が流れていて、あたしは髪が少し濡れたことに気づく。男の子があたしの携帯を差し出す。
「濡れちゃったから、壊れたかも」
 あたしは携帯を受け取って、バッグに押し込む。いいの、もう、かかってこないから。立ち上がろうとするけど、捻った足首が痛くて立てない。あたしはパンプスを脱ごうとして、男の子のひんやりした手に押さえられる。
「お姉さん、捻挫したの?」
「うん、多分…」
「靴は脱がないほうがいいよ。腫れちゃうと、今度は履けなくなっちゃうから」
「えー、どうしよう」
「家はどこですか?」
「え?」
「近ければ、ぼく送りますよ」
「ううん、家に帰るんじゃないの。立山旅館に行くところ」
「じゃあ、肩貸します」
「ありがとう」
 あたしは男の子の細い肩につかまって、漸く起き上がる。痛まない方の脚のパンプスを脱いで、暖かい石の上を飛び跳ねるように歩く。川が淀んでいるところを、黄色い蝶がひらひら飛んでいて、深い川底まで透き通るせせらぎを見ていると、百十円を払ってわざわざミネラルウォーターなんか買った自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
「頭とか、打ったりしてないですよね?」
「どうして? あたし、へん?」
「ううん。だって、泣きながら寝転がってたから」
 あたしは笑って、階段の丸太に傷む足をそっと載せる。あたしが登るのにあわせて、男の子が引っ張ってくれる。身長はあたしと同じくらいだし、痩せていたけど、力は男の子だ。
「なんかね、色々あったの。それで、色々なことが、どうでもよくなっちゃったの」
「色々なこと?」
「そう、いろいろ」
「長い話?」
「そうね、長い話」
「じゃ、聞かない」
 そう言って、男の子は微笑む。
 階段を上りきると、狭い舗装道路に出る。未だに細いスチール缶の飲み物を百円で売ってる錆びた自販機と、立山温泉のかすれて読めない案内地図。男の子が地図の下のほうを指差す。
「旅館はここだよね。足の腫れが引いたら、隣の足湯に浸かるといいよ」

 男の子に支えられて旅館の玄関を潜ると、女中さんたちが、いらっしゃいませ、と丁寧にお辞儀をする。女中さんが大丈夫ですかと声をかけてくる。あたしは事情を説明するのが面倒だったから、すぐに部屋に案内してもらう。あたしは男の子にお茶を入れる。靴を脱いだばかりなのに、足首が腫れあがってしまう。
「ぼく、御影橋のビジネスホテルに泊まってるんです」
「あら、旅行?」
「うーん、そんな感じ…」
 あたしはお茶を差し出す。お煎餅の袋を開ける。
 以前、仕事で泊まった時に見た掛け軸はなくなっていて、手びねりの花瓶に花が生けてある。隅々まで掃除が行き届いていて、塵一つ無い違い棚の上に古い茶釜が載っている。高級ではないけど、清潔感のある宿だからここに来た。前は独りではなかったけど。
 女中さんが湿布の入った薬箱を持ってきてくれる。足首に湿布を貼って、包帯を巻いてもらう。男の子が障子を開ける。裏山の緑が見下ろせる。
「ぼく、帰ります」
「そう、ゆっくりしてっていいのに」
「母が心配するので」
 あたしは廊下まで見送って、じゃあね、ありがとう、と言って手を振る。
 畳の上を滑って、お茶を飲む。裏山から蝉の声が響いてくる。あたしは窓を開けて、階下に見える石段を覗き込む。さっきの男の子が歩く姿を見つけて、あたしは大声で呼び止める。
「なんですか?」と男の子が見上げる。
「きみ、名前なんだっけ?」
「トモキです。山中和毅」
「ねぇ、行くとこないんでしょ」
 男の子は無言であたしを見つめる。青臭い孤独と大人への猜疑心に満ちた殺伐とした表情で、あたしに弱みを見せまいと必死で踏ん張っている。
「御影橋のビジネスホテルって、廃墟でしょ。あたしの部屋においでよ」

「十四週目ですから、中期中絶になります」
 医者はそう言って、詳しい話は聞かずに処置の内容を説明してくれた。そういうとき、大きな病院の医師は素っ気なくて、気が楽だった。あたしはもう一度、裕司と話し合いたかったけど、裕司は電話に出ない。
 始めて堕胎したのは高校生の時。妊娠を知った六歳年上の彼も連絡を絶った。あたしはその頃から自宅に居場所がなくて、いつも家出がちで、すぐに男を好きになって、すぐに体を許して、ひたすら尽くして、すぐに捨てられる。そういう男にとって都合の良い性格だから、いつまで経ってもまともな相手と巡り会えない。両親から見捨てられ、教師からも問題児扱いされて、好きな男には捨てられて、会社には派遣契約を切られて、あたしはもうどこにも行くところがない。せめて祐司には、あたしのアソコに金属の柄杓がねじ込まれて、子宮の中を逃げ惑う胎児がこそぎ取られて、ばらばらに切り刻まれる光景をみて欲しかった。
 同僚のカコはあたしと似ていて、いろんな男と付き合って、体を重ねてきたけど、あたしのような失敗はしないし、去年の年末に結婚した。あたしとカコは、選ぶ男がそもそも違ってた。あたしは男を顔で選んでたけど、カコは与しやすい男を選んでた。あたしはカコに、男は財布でもファッションでも専属の執事でもない、などと説教したけど、結局は似たもの同士だ。お互い欲しいモノは同じ。カコはそれを手に入れて、あたしは失った。

「照れなくていいのよ」
 露天風呂の縁に座って、なかなかお湯に浸かろうとしない和毅のタオルを引っぺがす。和毅は慌てて湯船に滑り込む。膝を立てて、小さくなる。あたしは和毅の隣に座り直して、二の腕を押しつける。
「中三だっけ? 和毅くん」
「いえ、二年生です」
「家出したのは、初めてでしょ」
 和毅は頷く。あたしは奪い取ったタオルをたたんで、和毅の手の届かないところに置く。
 田舎の夜空を見上げてじっと凝視していると、砂を散らしたような膨大な星々が突然視界全体に拡がる。都会では観ることのできない星空。これを教えてくれたのも男だったけど、誰だったか忘れた。
「どうして、家出してるって、わかったの?」
 和毅が聞く。相変わらず膝を抱え込んで、勃起したペニスを隠そうとする。
「あたしと同じ顔してたから…」
「夏美さんも、家出してるの?」
「むかーしね。トモくんと同じくらいの年頃」
「どうして、家出してたの?」
「あたしは家に居場所がなかったの」
「家には帰ったの?」
「帰ったよ」
「ご両親は…?」
「怒らなかったよ。あたしに向き合って、ちゃんと喋ろうともしなかった」
「何も変わらなかった…?」
 あたしは和毅に向き直って、胸を押しつける。和毅の太股に指を滑らせる。
「処女を失った」
「え…」
「よく知らない男と、よくわからないホテルに泊まって、一晩中レイプされたの。あたし初めてだったのに」
「ごめんなさい…」
「なんでトモくんが謝るの?」
「嫌な思い出じゃ…」
「もう昔のことだよ、気にしないで」
「うん、ごめんなさい」
 あたしの指先が和毅の内股を滑る。はち切れそうなくらい硬くなった陰茎に、あたしはそっと指を絡める。
「ねぇ、トモくん」
「はい…」
「あたし、トモくんなら、一晩中でもいいな」

 和毅の舌があたしの中に入って、ぐるぐると回転する。出し入れする。あたしのお豆に唇をつけて、音を立てて吸う。じゅるじゅる。あたしは恥ずかしくて、からだが熱くて、枕を掴んで鼻声を漏らす。
「あ、あぅぅっ、ん…」
「きもちいいですか?」
「じょうず…だよ。トモくん、才能あるね」
 あたしは和毅を部屋に連れ込んで、畳の部屋の真ん中に布団を敷いて、明るくしたまま和毅に愛撫される。あたしは起き上がろうとするけど、腕に力が入らない。和毅はもう一時間以上、あたしのからだを上から下まで愛撫してくれてる。手を抜くことをしらない、とても純真な欲望。
「ねぇ、トモくん」
「はい」
「あたしもしてあげるよ」
「はい」
「でも、力が入らないの。だから、トモくん…」
 あたしは和毅の腕をひく。和毅はあたしを跨いで、あたしの頭の上で四つん這いになる。触れてもないのに硬く屹立したままのペニスに息を吹きかけると、みるみる透明の体液が滲み出してくる。
「敏感ね」
 あたしは和毅の陰嚢を掴んで、ぐいっと引き寄せる。先端を含んで、くちゃくちゃ音を立てる。上目遣いで和毅をみつめながら、もっと引き寄せて、飲み込む。喉の奥まで。
「はぁぁあぁっ…ぐっ…」
 和毅は勢いよくあたしの喉の奥に射精する。機関銃みたいに小刻みに痙攣して、あたしは息が詰まって、和毅のペニスを咥えたまま咳き込む。
「うぶっ、げほっ、けほっ」
「ごめんなさい、大丈夫? ごめんなさい」
 口を離した瞬間に、和毅の精液が顔にかかる。青臭いけど、瑞々しい性の香り。あたしは目を閉じて、初めての和毅を傷つけないように言葉を選ぶ。
「すごい、いっぱい出したね。あはは、あたし目があかない」
 和毅はティッシュを取ってくれる。だけど和毅はティッシュであたしの顔を拭かずに舐める。唇と、頬と、瞼の上と、おでこに飛び散った精液を舐める。あたしはくすぐったくて、笑いながら、和毅の濡れた性器をしごく。だんだん柔らかくなって、小さく萎んでしまう。
「ごめんなさい…。ぼく…」
「いいのよ、少し休もっか」
 和毅はあたしの隣で仰向けになる。あたしは和毅の肩に頭を載せて、小さく萎れた性器を撫でる。和毅のなめらかな肌に指を滑らせる。あたしのかさついた肌と違って、若くて、瑞々しい。
「あの…、夏美さん。これから、どうするんですか?」
「なにが?」
「お仕事辞めて、住んでるところも引き払ったんでしょ。どうするつもりだったんですか」
「わかんない。ただ、色々嫌になっただけ。これから先のことは、まだ考えたくない…」
「ぼくと一緒に、湯沢に行きませんか?」
「ユザワ?」
 和毅のペニスが再び力を取り戻しつつある。真夜中の旅館はとても静かで、有料のテレビ台に置かれた時計の音や、露天風呂の近くを流れる沢の音まではっきりと聞こえる。あたしは和毅の乳首を舐めながら、もう一度聞く。
「ユザワって?」
「湯沢に慰労会を経営してる叔父がいるんです。ぼく、そこに行こうとおもってて」
「あら、両親の家には帰らないの?」
「ウチ、片親なんです。ずっと前に両親は離婚して、父親と二人暮らしなんですけど、親父は会社をリストラされて、去年までタクシーの運転手をやっていたんですけど、事故を起こして…。最近は職探しもしないでずっと家に居て、昼間からお酒を飲んで、気に入らないことがあると暴れるから…」
「そうなんだ…」
「叔父にはもう電話で話してあるんです。慰労会は人手不足で、ぼくみたいな子供でも仕事はあるって。だから、その、夏美さんのことも、ぼく叔父に話してみます。叔父は優しいから、きっと…」
 和毅はすっかり元気になって、体を波打たせる。あたしは再び和毅を飲み込んで、舌を絡みつかせる。自分で髪をかき上げて、和毅にあたしが愛撫しているところを見せる。和毅は半開きの目であたしを眺めて、あたしの髪を優しく撫でて、我慢できないかのように腰を上下に震わせる。
「上になってあげるね」
 あたしはそう囁いて、和毅を跨ぐ。硬く硬くそそり立つ和毅の肉を、自分の溶けた胎内にゆっくりと沈める。和毅はすごく硬いけど、それほど太くないから、あたしはスムーズに根元まで沈めてしまう。からだを前後に揺らして、腰を回転させるように動かす。和毅は本能に任せて、激しくあたしを突き上げる。お互いの股間がぶつかるたびに、ぺちぺち、ぱんぱん、恥ずかしい音が響く。和毅の腰の回転はすこしぎこちなくて、ときどきタイミングを外して止まってしまう。
「はぁ、はぁ、はぁ、な、つみ、さ…」
「トモくぅん、きもちいい? あたしの、なか」
「きもちいい、はぁはぁ、夏美さ…」
 和毅のペニスがあたしの膣内でぴくぴく痙攣する。あたしは動くのやめて、和毅をしっかり抱きしめる。和毅の絶頂が収まると、あたしは和毅からそっと離れる。離すまい、逃すまいとして、男をぎゅっと掴んでしまうと、みんなどこかに逃げていく。馬鹿なあたしでも、それくらいは知っている。
 和毅は横向きのあたしの肩に手を触れて、ゆっくり唇を重ねる。
「夏美さん、まだですよね」
「なにが…?」
「ぼく、もっと頑張ります」
「あはは、そんな無理しなくていいよ」
 あたしはもう一度キスをして、耳元で囁く。
「トモくんさえきもちよければ、それでいいの」
 和毅はあたしの胸に顔を埋める。安心しきった表情で、乳房に唇をつける。

 冷たい空気が流れる渓流を眺めながら、あたしは自家栽培のトマトを収穫する。
「霧が出てきたから、早めに戻ろう」
 和毅の叔父が収穫したピーマンを山盛りにした箱を抱えて言う。
 あたしは和毅の紹介で、叔父の慰労会で働かせて貰っている。バブル期に建設され、そのまま立ち枯れたリゾート施設の中に、慰労会の建物があった。あたしは慰労会が何のことかわからなかったけど、企業が福利厚生のために借り上げているマンションのようなところで、夏と冬に社員が泊まりに来る。それ以外の季節に、あたしたちはその施設を整備する。中にはここに住んでいる人もいて、顔見知りの住人はあたしに会うとみんな礼儀正しく挨拶する。人もお店も少なくて、山と川と森ばかりのこの土地で、あたしは僅かな給与を貰いながら、小さな駅の近くに小さなアパートを借りた。和毅の叔父は余計な詮索はしなくて、ときどき自宅に招いて夕食を共にする。この土地の人たちは暑苦しさがなくて、ごちゃごちゃした都会に必死ですがりついてくたびれ果てた自分にはちょうど良い温度。ここでは時間はゆっくりと流れて、都会では貴重な孤独が至る所に転がっていて、生活の不便に慣れると、もう戻りたいとは思えなくなっていた。
 建物の裏手から段ボール箱を運び込んで、あたしはロビーの清掃に向かう。そして玄関口で、あたしは懐かしい人に出くわしてしまう。
「夏美」
 あたしを見つめながら、祐司は罰が悪そうに呟く。一緒にいるのは同僚のカコ。二人きりの慰安旅行。
「ここで働いてるの?」と祐司。
「ええ…」
 話すことなど何もない。あたしは軽く会釈して、カコに意味ありげな視線を送る。素っ気なくロビーに向かう。あたしが受付のテーブルを拭いている間、玄関先で祐司とカコは言い争う。アンケート箱から用紙を回収している間に、和毅の叔父が二人の仲裁に入る。あたしは再び会釈しながら玄関を通過する。事務所に戻って、エプロンを脱ぐ。鞄を持って、ようやく家路につくときも、祐司とカコはまだ言い争っている。
 アパートへ帰る道、夕日に赤く染まった田んぼの向こうから、学校帰りの和毅が手を振りながら駆けてくる。
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