R18恋愛官能小説 青山倉庫

ぼくと妹とガラスの少女

第6章「告白」

 終業式まで数えるほどになった日に、ぼくのクラスは家庭科のクラス合同授業で、四組と一緒になる。
 ぼくは章子と同じ班になる。授業では、お米を研いでお味噌汁を作るけど、章子は顔色が悪くて、にんじんの皮をピーラーで剥いている最中に椅子に座り込んでしまう。
「章子ちゃん大丈夫?」と別の班にいた麻美が心配して声をかける。
「うん、朝からなんか具合悪いの。お粥しか食べれないかも」
 ぼくはゆきひら鍋をコンロにかけて、炊き上がったご飯とお水を加える。煮立ってから卵をといて入れる。章子がお鍋を覗き込んで微笑む。
「お粥作ってるの? いいのにー」
「梅干がないから、卵だけど」
「お前、佐伯には優しいな」と同じ班のマサルに言われて、ぼくは顔が熱くなる。
 女子がお茶碗にご飯を盛って、お味噌汁をお椀に注ぐ。みんな揃っていただきますと言う。章子はお粥を食べる。これなら食べれる、ありがと、と言う。ぼくはますます顔が火照る。
 ご馳走様の後で、食器と調理器具を片付ける。ぼくがお茶碗を拭いていると、章子が椅子の上でうずくまる。
「大丈夫? 具合悪い?」とぼくが聞く。
「うん、ちょっと、無理かも」
「保健室行こう。歩ける?」
 ぼくが手を差し出すと、章子はぼくに寄りかかって立ち上がる。肩を貸して歩く。ぼくは先生を呼んで、保健室に行きますと言う。階段を一歩づつ下りると、章子は寒いと言ってぼくの制服のポケットに片手を差し込む。
 章子を保健室のベッドに寝かせて、体温計を脇に差し込む時、ぼくの手が胸にあたる。一個上の美穂お姉ちゃんよりおっきい。ぼくは、ごめん、と言って、お布団をかける。章子は目を閉じて、ありがとうと囁く。ぼくは、先生に知らせてくるねと言って立ち去ろうとするけど、章子が袖を曳く。
「もうちょっと一緒にいて」
 ぼくは丸いパイプ椅子に腰掛ける。
「今日、帰りに一緒に帰ろうよ」と章子が言う。
「大丈夫? 早退した方がいいよ」とぼくが言う。
「いいの」
「ぼくが先生に伝えてあげるよ」
「いいの」
「お家に連絡する?」
「うち、誰もいないの」
「お父さんもお母さんも?」
「お父さんいないから…」
「そっか、ごめん」
 ぼくは章子から目をそらして、掲示板の健康ニュースを見る。
「一緒に帰ろう」と章子が繰り返す。
「うん、放課後迎えにくるね」
 ぼくはしばらく章子と一緒にいて、チャイムが鳴ってから教室に戻る。
 四時限目は自習になって、みんな適当に喋ったり漫画を回し読みする。ぼくの前のびっくりデブの席に、陸上部の津田健二が後ろ向きに座る。
「少年よ、陸上部に入ってみないか」
「え、なに?」ぼくは聞き返す。
「陸上部に入らないかね」と津田。
「マジで言ってんの? ぼく、マラソン大会九十六位だよ」
「いやそんなの関係ないって。やろうぜ」
「ええー、どうしようかな」
「練習もするけどさ。冬場は総合体育館でサバゲーやってるのよ。人数足りなくてさ」
「わかった、わかった。考えておくね」
 津田は早めに返事頂戴ねと言って、同じ帰宅部の省吾のところへ勧誘に行ってしまう。ぼくはびっくりデブの引き出しから勝手にジャンプを借りる。

 放課後、保健室の前に章子が立って待っていた。
 熱があるらしく、いつも真っ白な頬が赤い。ピンク色の手袋をして、足踏みしている。
「遅いよっ、寒い、寒い。早くかえろ」と章子はぼくをせきたてる。
「熱あるの?」
「うん、少し」
「先生にお薬貰った?」
「解熱剤貰ったけど、まだ飲んでないの。あたし効きすぎるから」
「あ、岡本さんに、部活休むって言っといたよ」
「ほんと? ありがと」
 ぼくらは下駄箱で靴に履き替えて、校門へのスロープを歩く。
 章子はバレー部だからおなじ時間に帰ることはほとんどなくて、久しぶりに一緒に歩くと歩幅を合わせるのが大変だ。章子は他の子よりも、彩奈よりも歩くのが遅くて、右に左にふらふらする。幼稚園の頃からそうだった。
「あたしんちね、猫飼ったの。まだこんなちっちゃいけど」と章子が言う。
「へぇ。家猫?」
「うん、血統書付きの猫みたいだし、お外が怖いみたい。タヌキみたいな顔してて、かわいいの」
「名前なんていうの?」
「しおじさん」
「え?」
「しおじさん。あたしとお母さん以外は、さんをつけないとだめなの」
 ぼくの家でも以前猫を飼っていて、セルゲイって名前をつけていた。家族以外には同志セルゲイと呼ばせていたから、それと同じだ。交通事故で死んじゃったときは、お姉ちゃんが一週間くらい毎日泣いていた。セルゲイのお陰で、資本主義の犬め、粛正してやる、母なる大地をドイツ野郎から取り返せ、という言葉を覚えた。セルゲイが死んでも、ぼくの心の中から猫が消えない。この傷は猫でしか癒せないのに、お母さんは猫を飼ってくれない。
「お昼は、ひとりぼっちなの?」とぼくが聞く。
「うん、あたしが帰ってくると、お迎えに来るよ」と章子。
「ごはんが帰ってきたっておもうんだよ」
「お腹すいたとき、ちゃんと『ごはん』って言うの」
「うそだー」
「ごぁ~んて」
 ぼくらは笑いながら歩道橋をのぼる。桜の木が芽吹き始めている。手摺に触れた章子が手を引っ込める。
「どうしたの?」
「あたし、静電気がすごいの。すぐパチパチなっちゃう」
「セーターとか脱ぐとき、大変だよね」
「髪の毛ばさばさになるの。後ろの毛とか全部浮いちゃって」
「暗いところでセーター脱ぐと、静電気が見えるよ」
「うそ、どんなふうに?」
「なんか、雷みたいに、バチバチって」
「燃えたりしないの?」
「なにが?」
「セーターでしょ」
「わかんない。燃えることもあるかも、人体発火って謎の事件があったのをネットでみかけた」
 ぼくらはどうでもいい会話を交わしながら、分かれ道に近づく。ぼくらの会話が途切れる。足元を見ながら、章子の歩みに合わせて歩く。横断歩道の前で章子は振り返る。
「送ってくれてありがとう、じゃあね」と言って、手を振る。
「佐伯さん」とぼくは呼び止める。
 信号が変わり始めて、章子は戻ってくる。何も言わずにぼくを見る。ぼくの膝頭はがくがく震えて、ぼくは左手で自分の唇を触るけど、腕も震えていて、心臓もばくばくいっていて、視線も定まらない。
「佐伯さんと入学式で会ってから、ずっと好きでした」
 章子はうつむいて、ぼくの足元を見つめる。
「ぼくとつきあってください」
 章子はしばらく黙っていて、信号が変わってとおりゃんせのメロディーが流れ始めると、小さくごめんなさいと言って走り去る。
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