R18恋愛官能小説 青山倉庫

金魚博士の些末な日常

第15話「ほくろ」


 一月二十三、月曜日、午前八時三十三分。
 不安のまま一晩を過ごしてから、はじめての登校。
 手足が緊張でカチコチになりながら教室に入ろうとすると、廊下を駆けてきた奈々があたしの手をひいて階段へ連れて行きます。階段を下りて踊り場へ。踊り場側には縦長の窓がついていて、遅刻寸前の生徒たちが校門に駆け込んでくるのがみえます。
「奈々…どうしたの?」
「沙希、帰った方がいいよ」
「どうして?」
「クラス中で、沙希のお父さんのことが話題になってるの」
 やっぱりそうなんだ。あたしは独りごちて、奈々の上履きに眼をおとす。昨日は結局、お父さんは帰ってきませんでした。家出人捜索願いを出すには早すぎますし、結局はじぶんたちで探すことになるから、お母さんはまずお父さんの預金を今日中に移すと言っていました。ウチはお父さんの収入で生活していますから、そのお父さんがいないと、一家は食べるものにも困ることになります。路頭に迷う、という言葉がファンタジーではなく現実のものとして、私自身のすぐ傍まで近づいてきたのです。お父さんの痴漢、なんて小さなことで項垂れても仕方がありません。
「大丈夫、あたし、負けない」
「だめだよ。それだけじゃないんだよ」
 そう言って、奈々は買ったばかりのスマートフォンを取り出して、動画を再生する。あたしに見せる。ちゃぷちゃぷちゃぷ、という卑猥な音が響いて、つるんとした割れ目に大きなおちんちんが出入りする映像。一目みただけで、この間、別役先生のマンションで撮られた映像だとわかる。シュンのおちんちんの根元にはちいさなほくろがあって、傷一つ無いシュンの完璧な身体にある唯一の欠点であり、一番愛おしい部分なのです。あたしはそのほくろをみるたびに、いままでの快感が身体の奥から甦ってきて、あたしは内股を閉じて腰がひけてしまいます。
「これ、口で、してるところとか…、入ってて、沙希と真優ちゃんが映ってる。男の子は、淳くんだよね?」
 奈々がそう言う間に、映像はあたしと真優のフェラチオに切り替わって、いまのあたしは全身から血の気が引いてこのまま床に崩れそうなのに、スマートフォンの小さな画面の中で長大なおちんちんを交互に飲み込むあたしと真優はめちゃくちゃ楽しそうで、めちゃくちゃきもちよさそうで、あたしは涙が溢れて何も言えなくなる。
「みんなの携帯にもこの映像が届いて……、長い動画だからガラケーの子は何人か観られていないけど、いま大騒ぎになってるの。このまま教室に入るとヤバイよ。先生にはまだ知られていないみたいだから、このまま帰って、逃げて」
 あたしはもうなにがなんだかわからなくなって、その場で立ち尽くしたままぼろぼろ泣いていて、奈々があたしの手を引っ張らなければずっと動けずにいたかもしれない。しゃくり上げながら、あたしは奈々に手をひかれて下駄箱まで連れて行かれて、靴に履き替えて、奈々も靴に履き替えて、外に出るとあたしたちは校門じゃなくて技術倉庫の脇を通って、あたしはフェンスを乗り越えます。奈々が鞄を渡してくれる。
「あとで連絡するから。先生には風邪でお休みだって言っておくね。沙希は真優ちゃんと淳くんを学校から連れ出した方がいいよ。真優ちゃんはともかく、淳くんは大人しいからイジメられそう」

 午前八時五十六分。
 シュンはまだ携帯を持たされていない。あたしは真優に連絡を取って、いま大変だから先生に言って学校を出て、シュンを連れて帰ってと言う。電話の向こうの真優はあたしより落ち着いていて、うん、わかった、とだけ。真優はよくできた妹だから、あたしの言ったとおりに使命を達成する。あたしは携帯を閉じて、電信柱にもたれたまま空を見上げます。
 曇天から、ちら、ちら、と粉雪が散る。生まれて十三回目の冬。黒いウールコートを着たおじさんが携帯を弄りながら歩いていて、あたしをみています。自転車に乗ったおばさんも、すれ違いざまにあたしと眼があいます。こんな時間に学校のすぐ裏でぼんやりしていると、不審に思われても仕方がありません。携帯が着信。
「もしもし」
「お姉ちゃん、シュン、いないよ」
「いないって…、教室には?」
「教室にいないの。今日は来てないって、先生から逆にどうしたのってきかれた。朝、登校するときまでは一緒だったんだけど…。下駄箱でわかれてからはみてないの」
「どうしたんだろう……」
「お姉ちゃん、お父さん、帰ってきたの?」
「うーん、まだ」
「いまから帰らないとだめ?」
「だめよ、帰ってきて。学校にいちゃだめ」
「どうして?」
「あとで説明するから」
「今日は別役先生いなくて、代理の教頭先生に説明しないといけない。家に電話しても、お母さんでてくれないし」
「あのね、あたしたちのビデオ…、別役先生のマンションで撮られたじゃん、あれが学校中にばらまかれてるの」
「うん……」
「小学校には撒かれてないみたいね」
「うん、みんな普通だもん」
「とりあえず真優だけでもすぐに帰ってきて。教頭先生に理由なんて言わなくていい。引き留められそうなら、家族が大変なんですって言って」
「わかった」
 電話を切る。あたしはいつもの通学路を避けて、違う道で家に帰る。

 午後八時ちょうど。
 外は本格的に雪が降り始めています。帰宅してから十一時間。
 真優はすぐに帰宅しましたが、お母さんがいません。キッチンにも、寝室にも、屋根裏の倉庫にもいません。家を留守にするときは、お母さんは必ず書き置きをするのだけど、そんなものなくて、冷蔵庫に夕食もなくて、お母さんの服が全部なくなっていて、タンスの一番上の引き出しにはいっているはずの預金通帳もありません。居間のコタツの脇にフクちゃんが丸くなって毛繕いをしているだけで、しん、と静まりかえった家。あたしはフクちゃんにご飯をつくってあげて、すこしだけ洗い物をしましたが、あたし自身はなにも食べていません。なにも食べる気になりません。
 暖房をつけて、コタツの上に鏡をおいて、妹を座らせ、髪を梳いてあげているとき、灯油の販売車が家の前を通りかかる。十八リッター、千六百八十円です。携帯が一回だけ振動。メール。
 大智から。件名なし、一言だけ『どういうこと?』。
 あたしはだめもとで、全部誤解なの、と返信する。大智からすぐにメールが返ってきます。『誤解じゃなくて事実だよね。悪いけど、このあいだ告白したこと、無かったことにしてほしい』と書かれていて、あたしはまだ始まってもいない恋が終わったことを痛感するのですが、なぜかあまり心が痛みません。奈々とは大智のことできちんと喋ることができていないけれど、あたしの中で陽一はあたしに嘘や誇張を語るとはおもえませんでした。それに、いまはそれどころではないのです。
「お姉ちゃん、誰から?」
「学校のひと」
「あたしたちのビデオ、みんなにみられたの?」
「そうみたい……」
「あたしたち、学校でイジメられるかな」
「わからないよ」
「あたしたち、きもちいいこと、してるだけじゃん。何も悪いことしてない。誰も傷つけてない」
「そうだね……」
「先生たちはごちゃごちゃ言うかもしれないけれど、自分の身がかわいいからでしょ。ほかの子たちは嫉妬してるだけ。馬鹿みたい。陰ではみんなセックスに興味津々なのに、誰かが楽しんでると、めちゃくちゃ陰で責めるじゃん。男子はビッチとか言ってさ、童貞のくせに。女子はもっとひどい気がする。わかりにくい方法で嫌がらせしてくるよ、きっと。あたし、シュンが心配。シュンは大人しくて弱いから、絶対暴力ふるわれてる気がする」
 部屋を加湿しているせいで、サッシが真っ白。立ち上がってカーテンの隙間から外をみると、雪が積もり始めています。
「あたし、帰ってきちゃって、よかったの? シュン、今頃どこかで一人ぼっちだよ。あたしがシュンを守らなきゃ」
「どこにいるかわからないでしょ」
「探さないと」
 真優が腰を浮かす。あたしは真優の肩に手をのせて、落ち着いて、と言います。
 携帯が振動、通話着信、シュンから。
「もしもし!」
「はぁはぁはぁ、さ…沙希ちゃん」
 くぐもったシュンの声。苦しそうな呼吸と、誰かの笑い声がきこえます。
「シュンくん、いまどこ?」
「いま…、あっ、ぐうっ」
 また誰かの嬌声があがる。複数の女の子の声。
「小塚の…、は…廃工場のプレハブ、みたい」
「なにしてるの?」
「せ…先生、たちが…。たすけ、お姉ちゃ、たすけて」
「シュンくん、もしもし、きこえる?」
 電波が悪くてあたしの携帯の方がピーピー鳴っている。そういえば居間は電波が悪い。あたしは場所を移動しようと立ち上がりますが、通話はそこで途切れてしまいます。
「真優、着替えて。シュンを助けにいくよ」
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