R18恋愛官能小説 青山倉庫

金魚博士の些末な日常

第2話「悪夢」


 十二月二十三日、金曜日、午後十七時一分。
 あたしが重大な決意をしたその日、災厄がやってきました。
「沙希、シュンを預かることになったから、あなたと真優の部屋、どっちかを貸してあげて」
「なにそれ」
「事情があって、しばらくウチで暮らすのよ」
 夕方、帰宅してすぐに歯磨きをしていると、お母さんがシュンの手を曳いてあたしの前に連れてきてそう言った。本条淳は二つ下の従兄弟で、ちっちゃい頃から夏休みとか冬休みにウチに遊びにきて、家中ひっくり返して大騒ぎする怪獣で、すごく乱暴で泣き虫だから、あたしも妹もシュンのことが大嫌い。一昨年から泊まりにくることがなくなって、あたしも妹の真優も安心していたのに。
「あたし、イヤ。真優の部屋を貸してあげれば。真優はあたしの部屋で生活すればいいでしょ」
「真優ちゃん、今日はお父さんのお買い物についていってるから…」
「とにかく、いやよ。あたしちょっと約束があるから、出かけてくる」
 お母さんは話が長くなるから、会話を拒む。口をゆすぐ。タオルで顔を拭く。洗面台にうつる自分の顔をみて、お化粧とか、しなくていいのかな、と躊躇します。同い年の子は、ギャルっぽくない子だってメイクくらいするのに、あたしは眉を整えたり産毛を剃る以外なにも気にしていません。いま慌てても遅すぎます。
 お母さんの脇を通る。あたしをみあげるシュンと眼があう。だれ? あたしの記憶のなかのシュンは、ぼさぼさの頭と切れ長の眼と大きな鼻の穴だけでアンバランスに構成されているのですが、二年ぶりに会ったシュンはまるで変わり果てて、色白で丸い顔はそのままに、大きな瞳と濡れた唇が不安そうに震えて、全部のバランスが整っていて、別人のようなキラキラした眼であたしをみつめてる。
「シュンくん?」
 あたしが声をかけると、シュンは表情を綻ばせる。
「沙希ちゃんのお部屋、入ったらいけないの?」
「ダメ。入ったら殴るよ」
「一緒にお風呂にもはいれないの?」
「ダメ。覗いたら殺すよ」
 シュンの繊細な顔から微笑みが消える。
「沙希、そんなこと言わないの」
 お母さんが言う。あたしは無視して、いってきます、と言う。玄関を出る。先月買ってもらったばかりのスマホで時間を確認する。

 あたしは約束の時間より五分早く来たのに、待ち合わせの相手はすでに訪れていて、公園のバスケットゴールにスリーポイントを決める。
 白浜公園はあたしの家からも、学校からも、あたしが呼びつけた彼、陸上部の安西裕太くんの帰り道でもあったから、ちょうどよかった。時計台のある広場にはバスケットゴールがあって、裕太くんはほかのクラスメートの男の子三人と遊んでいます。あたしは裕太くんをここに呼んだとき、一人で来てくれること以外想定していなかったから、ほかに人がいることにひどい気後れを感じてしまう。だけど、今更後戻りできません。
「おー、田神。早いじゃん」
 裕太くんがあたしに気づいて、ボールをドリブルしながら駆け寄ってくる。陸上部だけど、裕太くんはサッカーもバスケも得意。小学校の頃からずっと憧れていました。直接しゃべることができたのは、ここ数ヶ月のこと。裕太の友達も集まってきて、あたしの前でボールを奪い合います。
「裕太く…」
「なに? 用って」
「あ、あのね」
「もしかして、告白?」
 そう言って、裕太くんはその場から超ロングシュートを放つ。ボールはバックボードの角に当たって高く舞う。冬の夕暮れは、青紫の空にぽつねんと浮かぶオレンジ色のバスケットボールの放物線がくっきりと、はっきりと、そして地面にはねる、はねる。
「やっぱそうなんだ。田神、俺のことすきなの?」
 あたしはなにもかもが予定と違って、パニックを起こしかけていて、上目遣いのまま、ちいさく頷くだけ。
「悪いね、俺、誰ともつきあう気ないんだ」
「どうして?」
「俺たち、中学生になったばっかじゃん。もうすぐ二年だけどさ。いま、いろんな楽しいことばっかで、誰かとつきあって縛られるのとか無理だし」
「そっか…」
 裕太くんはあたしの前でしゃがみ込んで、うつむくあたしをみあげる。別に、かなしくなんかない。涙も出ない。ただ、血の気が引いて、息が苦しくて、倒れそう。
「田神に告られて厭な奴なんていないとおもうぜ。でもさ、俺が田神のことを好きでもないのにオーケーしちゃったら、結局それってヤリ目じゃね? それはヤだよね。振っといて言うのもなんだけどさ、女の子から告白しないほうがいいとおもうよ。仕合わせになれないってきくし。それに、田神のこと好きな男って、ウチの学校には大勢いるとおもうけど…。つーかなんで俺なわけ?」
「安西くんのこと、あたし小学校の頃からずっと…」
「おまえ土橋とも小学校から一緒じゃん」
「土橋くんは別に…」
「なんでー? 超絶イケメンじゃん、土橋ひとりでイケメン関東大会優勝できる勢いだぜ」
 土橋陽一は裕太くんと同じ陸上部で、あたしとおなじクラスの男子。背が高くて、お父さんかお母さんがフランス人だかウクライナ人だかで、日本語しか喋れないけれど、とても綺麗な男の人。好きとか嫌いとかで言い表せるタイプじゃないし、あまり親密でもないし、意識したこともありません。
「そんなわけで、申し訳ないけど、これからも普通に友達でいようよ。俺も気が変わったら、逆に告るかもしんないから」
 そう言って、ちょっと早いけどメリクリー、と手を振る。あたしもなんとなく手を振る。裕太くんはバスケに夢中な仲間の輪に戻る。
 あたしは来た道をトボトボと戻る。
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