R18恋愛官能小説 青山倉庫

トッカータ

第14話「透明な雫」


 市立美術館の玄関前。屋外でクラシックコンサートが開かれていて、あたしとアヤは手をつないで生け垣の石段に登る。群衆の向こうに見える赤いジャケットを着た指揮者と、ラフな格好の演奏者。モーツァルトのピアノ協奏曲第二二番。美術館にはクリムト展が来ていて、どこもかしこも人だらけ。
 風が涼しかったけど、あたしはアヤの手をひいて、美術館に入る。常設展の前を通る。バスキアのポストカードが目に入る。館内のレストランに入る。駅の東口方面は、喫茶店でさえコーヒー一杯千円も取るヒドイお店が多くて、お金を持ってない学生は鮨詰めのマクドナルドか、コンビニで我慢するしかないけど、あたしはこのレストランが穴場だと知っていた。八百円くらいのランチメニューで、そこそこのお料理を食べられる。案内されて、席につく。あたしはトマトとバジルのパスタのセットを注文する。アヤはカレーと帆立のムニエル。ラテン系のボーイさんが恭しく注文を取る。
「麗羅って、いろんなお店しってるよね。家族で来たりするの?」とアヤが言う。
「うん、お母さんが元ヅカ系でさぁ、もっとちっちゃい頃から色んなお店にあちこち連れ回されたよ。あたしは足が痛くなるだけだったけど。ウチ、お父さんはあんまり家族と出かけたりしないの」
「研究所の所長さんなんでしょ?」
「ううん、普通の会社だよ。微生物ナントカ研究所ってとこが有名みたいだけど、あたしよく知らないし。家にいることが少ないし」
「そうなんだ、淋しいね」
「あたしは平気だけど、妹がときどき淋しがってる。あたしは、中学に上がったときにこっちに引っ越してきたから、家族とあんまり会ってないし。志保ちゃんが遊びに来てくれるから、むしろこっちにいる方が楽しいよ。アヤの家も近いしね」
「どうして転校したの?」
「え?」
「引っ越ししてきたんじゃないの?」
「うん、いろいろ家の事情があって…」
 あたしは言葉に詰まる。封じ込めてきた厭な記憶が蘇る。
「事情?」
「うん、事情…」
「ふぅん」
 あたしが俯いていると、ラテン系のボーイさんが前菜とパンとスープを運んでくる。アヤはパンを千切ってバターを塗る。あたしは串焼きにされた魚のフライをトマトソースに浸して食べる。
「ここって、デザートブッフェもあるみたいだよ。今度来た時は、そっち食べようか」
「麗羅ちゃん、話逸らした」
「なんの話?」
「どうして転校してきたの?」
 アヤは首を傾げる。俯くあたしの顔を覗き込む。アヤに悪意はない。両親と離れてあんな大きな別荘にお手伝いさんと二人きりで、時としてひとりぼっちで暮らしているあたしのことを不思議におもうのは当然だから。
「あたしね…」
 口を開く。いじめられてたの。言おうとした言葉が喉から出なくて、代わりに白いテーブルクロスに涙が落ちる。ぽたぽた、ぽたぽた。今まで気にしていない振りをして、自分が味わった屈辱とか辛酸とか、そういう悪いモノから目を逸らして精一杯平静に振る舞ってクールで落ち着いて、両親からもアヤからも志保からも親戚の叔母さんたちからも、麗羅お姉ちゃんは大人びててしっかりしてるから大丈夫なんて言われてきたけど、ほんとうはそういうものを心のどこかに押し込んで蓋をして必死で押さえ込んでいただけ。ほんとうは大声で泣きたくても、あたしはお姉さんだからしっかりしなくちゃいけないって、家にいないお父さんと宝塚に夢中なお母さんに言われた通りにただ辛抱してきただけ。
「麗羅、どうしたの? ごめんね、ごめんね…、あたしいけないこと聞いた?」
 アヤが椅子を降りて、あたしの隣で膝を突く。あたしの太股の上にアヤが両手を載せて、あたしの涙がその上にぽたぽた、止め処なくこぼれ落ちる。泣き止もうとすればするほど涙は止まらなくて、アヤがハンカチで拭ってくれる。なんでもない、そう言いたくても声がでなくて、泣き顔のまま無理に取り繕った笑顔が海藻のスープに映って揺れる。しゃっくりが出る。アヤが肩をさすってくれる。窓際の席に座った老夫婦が立ち上がる。離れた席に親子連れが座る。野外コンサートの音が止む。あたしは首を振って、アヤのハンカチで涙を拭う。
「ごめん、なんでもない。大丈夫だから」
 ボーイさんが料理を運んでくる。アヤは席に戻る。あたしたちは無言で食事を再開する。

「はぁ、はぁ、あっ、んむっ…、アヤ…」
 あたしたちは喫茶店デュカスの狭い個室で抱き合って、お互い愛撫しあう。アヤの手があたしのショーツに滑り込んで、アヤの指先が粘膜の上をつるりつるりと前後に滑る。今日は攻められてばかりで、あたしは狭い長椅子に仰向けになって、アヤはからだとことばであたしを犯す。
 デュカスは元々カップル喫茶だけど、一階と二階の一部は普通の喫茶店に改装されて、僅かに残った個室のドアには鍵がかからない。だけど、店員を呼ばない限り誰かが覗くこともないから、あたしたちはここで服を着たまま愛し合う。隣の個室からも、カップルの押し殺した喘ぎ声が聞こえてくる。
「麗羅、びしょびしょだよ、ほら、店員さんにバレちゃうよ」
「いやぁ…んっ、あっあっあっくっひっ」
 アヤの指があたしの胎内に滑り込んで、小刻みに出入りする。濡れた音が響く。優くんのアソコが出入りするときと違って、それほど派手な音はしないけど、狭い個室にその小さな音とあたしの声が反響して、恥ずかしくて顔が熱くなる。体が熱くなる。腰が浮かぶ。アヤはあたしを的確に突いてきて、狭すぎて逃げられない。
「きもちい、きもちいいよぉ」
「麗羅、あたしにもして…」
「はぁ、はぁ、アヤも濡れてる…」
「だって、麗羅がエッチな声だすから」
 アヤはあたしのブラウスのボタンを外す。はだけた胸に手を滑らせる。乳首を弾く。もう片方の乳首を口に含む。あたしはアヤのアソコに指を沈める。小刻みに振動させる。やっぱりあたしには攻めとか受けとかよくわからない。どっちでもいい。アヤのカラダを貪りたい。あたしより幼くて小さいからだを抱きしめたい。すべすべの肌の温もりをずっと感じていたい。
「好きだよ、アヤ…」
 唇を重ねる。舌を絡めながら、アヤは小さく頷く。キスに涙の味が混ざる。アヤが唇を離して涙を拭う。
「アヤ、どうしたの?」
「なんでもないよ…」
「なんでもない、は、ナシだよ。あたしも話したでしょ」
「うん…」
 アヤはあたしに覆い被さったまま、あたしの剥き出しの胸に頬を密着させる。あたしの鼓動を聴く。隣の個室から、イク、イクと声がする。テーブルの上の泡が消えかかったマキアートが揺れる。
「どうして、普通の恋愛ができないんだろう…」
「普通の?」
「あたしが最初に好きになったのはお兄ちゃんで、今でもお兄ちゃんのことが好き。でも、お兄ちゃんはあたし以外に好きな子がいて、その子と別れてから様子がおかしくなったの。誰とでも見境無くエッチするようになった。なんか、挨拶みたいに簡単にセックスしてる。あたしは平気な振りをしてるけど、ほんとうはすごく辛いの。だけど、あたしとお兄ちゃんがずっとそういう関係でいることはできないから、お兄ちゃんを責めることもできない」
「ごめん、あたしがいけないんだ」
「麗羅は悪くないよ。お兄ちゃん、麗羅と遊ぶようになってから明るくなった。麗羅はあたしみたいなへんな性癖ないから、お兄ちゃんは楽だとおもう」
「へんな性癖って?」
「あたし、首を絞められないと、ちゃんとイかないの」
「そうなの?」
「うん、普段はイったふりしてるだけ。お兄ちゃんと二人の時は、首を絞めて貰ってるの」
「そうなんだ…」
「あたしは麗羅のことが好きだけど、麗羅があたしを好きでいてくれるような気持ちとは違うのかもしれない。あたしにはまだわからないの。女の子を好きになるってこと。麗羅が好きでいてくれることは嬉しいよ。でも、その気持ちに答えられる自信がない」
 隣の個室が静かになる。あたしはアヤの頭を抱いたまま、天井の古びた照明を見つめる。壁に貼られたインディーズバンドの広告がエアコンの風にはためいて、半裸のあたしたちは言葉と意志を失った操り人形みたいにからだを起して、あたしはアヤにキスをする。アヤはあたしの首に腕を回してくれるけど、唇は閉じてあたしを拒絶する。

 保木さんは晩ご飯に和風パスタを作ってくれる。
 あたしはお母さんが作る茄子料理は嫌いだけど、保木さんの茄子を使った肉詰めやパスタやカレーは好き。ダイニングで食事している間、保木さんはあたしの明日のお弁当を作ってくれる。保木さんはあたしと一緒にご飯を食べない。あたしより年上の子供が二人いて、二人とももう家を出ているから、保木さんはウチに泊まることが多い。以前は大野さんというお手伝いさんが来てくれてたけど、体を壊して辞めてしまった。大野さんはお喋りなひとだったけど、保木さんはあまりあたしと会話することがない。広い家はいつも静か。
 パスタを食べ終わって、食器をキッチンに運ぶ。水を流す。ケトルに水を入れる。IHヒーターの上に載せる。冷蔵庫からメイソンの紅茶を取り出す。桃のハーブティー。あたしが自分で紅茶を淹れようとすると、大野さんはあたしをお嬢様扱いして代わりに淹れてくれてたけど、保木さんはあたしの邪魔をしない。あたしに干渉しない。楽だけど、ときどき淋しい。
 お湯が沸く。ティーポットにお湯を注ぐ。お湯を捨てる。茶葉をスプーン二掬い入れる。お湯を注ぐ。蓋をする。蒸らしている間に冷蔵庫から牛乳を取り出す。二人分のティーカップに牛乳を注ぐ。茶漉しを載せて、そこに紅茶をゆっくり注ぐ。あたしのお弁当を作っている保木さんに声をかける。
「紅茶、ここにおいときますね」
「あら、ありがとう」
 あたしはお盆にカップとクッキーを載せて、二階の自分の部屋に戻る。教科書をひろげて、夏休みの宿題に取りかかる。アヤと半分ずつ宿題をこなして、お互い見せ合う約束。家庭教師についてもらっていれば、成績がひどく落ち込むこともないし、平均以上の高校に進学できる。
 部屋のドアをノックする音。保木さんの声。
「麗羅ちゃん、綾川さんからお電話」
 あたしははーいと答えて、クッキーのお皿を持って部屋を出る。二階は子機の圏外だから、あたしは電話が置いてある階段下まで駆け下りる。受話器を取って、電話を設置した棚と壁の隙間に滑り込む。
「もしもし」
「もしもし、麗羅ちゃん」
「どうしたの?」
「うん、なんとなく、電話してみた」
「あら、淋しそうな声」
「少し淋しかった…」
「アヤんち、家族多いんでしょ。お姉さんもいるし」
「お姉ちゃん、今日まだ帰ってきてないの」
「もう十時だよ」
「うん、さっきお母さんが怒ってどこかに電話してた」
 あたしはクッキーを齧る。アヤの声がいつもより少し遠く感じる。
「ねぇ、麗羅はもう宿題終わった?」
「まだだよ。今、半分くらい」
「そっか、あたしも全然進まなくて、お兄ちゃんに手伝って貰ってる」
「優くん、やさしいね」
「うん…」
 アヤが口籠もる。沈黙する。保木さんがあたしを覗き込んで、小声で「鍵閉めていきますね」と言う。頷く。玄関が閉まる。保木さんの車の音。
「麗羅、ごめんね…」
「え?」
「あたし、こういう関係は…もう」
 あたしも口籠もる。クッキーのお皿を見つめる。車が走り去る。静かすぎる廊下。リビングの電気は消えていて、広い家の中にあたしはひとりぼっち。壁掛け時計の秒針の音だけが余計にはっきり聞こえて、耳障り。
「麗羅?」
「うん…」
「ごめんね。ほんとうは、今日会ったときに伝えようとおもってたの。でも、なんとなく言いそびれちゃったの。ごめんね、麗羅、ほんとにごめん…」
 鼻を啜る音。時計の秒針の音。目の前のクッキーのお皿が滲んで、サルバドール・ダリの時計のように、ゆらゆら揺れてドロドロと溶解する。俯く。涙が太股に落ちる。
「あたしが優くんを誘ったのがいけなかったんだ…」
「違うよ、そうじゃない」
「アヤは最初からあたしのことなんか」
「違うよ」
「だって…」
「麗羅のことは好きだよ。お兄ちゃんのことも。だけど、あたしそのうち麗羅を傷つけてしまいそう」
「どうして?」
 アヤの吐息が聞こえる。コオロギの鳴き声と、太股の上を滑る透明な雫。あたしはもう一度聞く。どうして?
「好きなひとができたの」
 あたしは沈黙する。あたしにはアヤの声が切羽詰まって取り繕った響きに聞こえて、惨めな気持ちになる。受話器を握る手の力が抜ける。アヤが心配した声で、あたしの名前を呼ぶ。そして言う。
「麗羅がお兄ちゃんと会ってても、あたしは全然構わない。知らない子とするくらいなら、お兄ちゃんには麗羅と会ってて欲しいもん。麗羅がイヤじゃなければだけど…」
「うん…」
 アヤを呼ぶ声。アヤは受話器に手をかざして、いまいくー、と答える。
「ごめんね、呼ばれちゃった」
「うん、いいよ」
「またかけるね、じゃあね」
 バイバイ。
 受話器を置く。天井を仰ぎ見る。こうすれば涙は零れないって歌もあるけど、どんどん溢れてくる。今日は一日悲しいことばかり。今日は一日泣いてばかり。
 あたしは膝を抱えたまま声を出して泣きわめく。
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