R18恋愛官能小説 青山倉庫

鳴沢文芸部

第7話「勘違い」


 ブーン、ブーン。
 電源を切ったはずの携帯が唸る。目が覚める。ぼくは別邸の二階に寝ていて、窓から月明かりがさしこむ。電話は天音から。ぼくは出ない。誰とも喋りたくない。希望をもてるささやかな光が失われたあとも、人生がずっと続いていくという恐ろしさに気づきました。ぼくはうっすら、三十歳とか四十歳とかそういう楽しくなさそうな年齢になったら、なんとなく人生劇場は幕を引くのだとイメージしていたのだけれど、そこから更に三十年とか四十年とか長い長い人生が死ぬ瞬間まで続いて、やり過ごすことができないのではないかと。
 携帯を開く。天音からのたくさんの着信。実留衣からの複数のメール。連絡ください、心配しています。なんの心配だろう。装丁の打ち合わせに出られないことだとしたら、そんなの勝手に決めて欲しい。
 着信。知らない固定電話の番号。お父さんの病院かもしれない。
「もしもし」
「もしもし、聖? よかった、つながった」
 天音の声。
「ねえ、逢いたいよ。いまお爺さんの家にいるの? そっちにいってもいい?」
「ここは、遠いよ」
「場所訊いたよ。ひとりでいたいの? あなたはそれでよくてもあたしはいやよ、逢いたいよ、いまからいくから」
「天音…」
 電話が切れる。天音の声は泣いて震えていた。どうして泣いているのかわからないけれど、天音は良い子だから、友達が落ち込んでいるとおなじように悲しんでくれるのかもしれない。それとも思わせぶりを続けたいのかもしれない。それは不思議なはなしです。ぼくは書き上げた小説のなかで、天音に恋人がいることを描写しているのですから。
 いまからいくから。
 本気だとはおもえないけれど、ここはぼくたちの町から電車で三時間近くかかるし、いまは深夜で電車も動いていない。こんな夜中に女の子がひとりで出歩くのを、天音の両親が許すはずがない。
 裏山からジイジイと蝉の鳴き声が響いてくる。今年は蝉がすくないなんて嘘っぱち。なんどか部屋の網戸に蝉がぶつかる音がきこえた。別邸のぼくが寝ている部屋は畳敷きの部屋で、窓は南と東にあって、入り口の引き戸と窓を全開にしていると、涼しい風がながれる。夜の風は、草木の香りが混ざって、あまい匂いがする。
 毎年、おじいちゃんは田植えをするのだけれど、今年は野菜を少し植えただけ。そのお野菜も食べられないかもしれないと言う。小さい頃、田植えを手伝って、手で稲を植えたことをおもいだす。田んぼのなかには、オタマジャクシとアメンボとメダカとカブトエビがいっぱいいて、ときどきヒルもいて、お姉ちゃんのくるぶしにくっついたヒルをお爺ちゃんが煙草の火で焼いていた。あの頃はなにをしていても楽しかったのに、年をとるにつれて価値観が生まれて、いままでなんでもなかったことに憧れるようになります。

 足音。
 目が覚める。田舎の家の周りは自然の音しか聞こえないから、動物が通りかかるとその足音だけがハッキリときこえることがある。ぼくは起き上がって、網戸をあける。月明かりしかない砂利道を、制服姿の和智天音がトボトボと歩いてくる。
「天音」
 ぼくは二階から声をかける。
「聖? どこ?」
「ここだよ、二階」
 天音がぼくを見上げる。銀色の明かりに照らされた天音の顔が闇に浮かんで、妙に艶めかしい。
「絵、できました」
「いま、下に降りるね」
 ぼくはパジャマ姿のまま、階段を下りる。玄関を開けて、天音を迎え入れる。二階の部屋に連れて行く。電気をつける。部屋のすみに布団が敷かれて、窓際に小さな棚のあるがらんとした部屋。普段は使われていないから、別邸には物がすくない。天音は座り込む。ぼくも座る。天音は鞄から白い封筒を取り出して、ぼくに渡す。中に、仕上がった絵のコピーが入っている。
「小説、読んだよ」
「うん」
「なんども、読みました」
「ありがとう」
「あたし、あの小説嫌いです。だいっきらい」
「どうして?」
「じぶんがいなくていいなんていわないで欲しい、いらない子だなんて、だれもおもってない」
「うん…」
 天音の絵はモノクロの線画で、力強い線のひとつひとつにうっすら陰がついていて、まるで切り絵のように見える。
「実留衣はあなたの小説を読んで、ひどく傷つけたんじゃないかって、落ち込んで悩んでいます。聖は、勘違いしています。おおきな勘違い」
「かんちがい…?」
「あたしは絵を描く素材が欲しくて、映画館の資料室を知り合いのひとに見せて貰ったんです。最近、夜間は大学生が作業しているから、早朝こっそり入るしかなくて、劇場モールから出入りしたの。あなたはモールの出入り口をラブホと勘違いしています。キスなんてしてない!」
「そうなの?」
「知り合いのひとはお父さんの部下の方で、わがままなあたしはむしろ嫌われています。あのひと、帰りがけに顔を近づけて、持ち出した資料のことを絶対誰にも喋るなって、釘を刺しただけ。それに、実留衣だって牧野部長に告白なんかされていません。牧野部長は同級生の子に告白して、実留衣が仲立ちしてあげただけ。あたしも実留衣も誰ともつきあっていない。実留衣のことはしらないけれど、あたしは、聖のこと…」
「天音…、ぼくは」
「すきです」
「え…」
「聖は、実留衣のことがすきなの?」
「どうして?」
「普段の態度から、ずっとそうおもっていました。でも、聖の小説を読んで、もしかしたら、聖はあたしのことが…。でも、どうやってきもちを確かめればいいかわからなくて…。アハハ、どうしてあたしはすきなひとにこんなこと話してるんだろう。すきなひとに、すきなひととの恋愛相談もちかけるなんて、なぞなぞみたいだね」
 そう言って、天音は両手で顔を覆って、こどもみたいにわあーと泣き出す。

 翌朝、天音は祖父にご挨拶して、一緒に朝食を食べる。
「ぼくは、今日帰るよ」
 そう言うと、祖父は瓶詰めのお漬け物をぼくに持たせる。ぼくはまた来るねと言って、祖父の家を後にする。
 ぼくは、天音を連れて、鏡橋の上に連れて行く。風が吹いていて、陽が高くなると、波だった河面がキラキラと輝いて、まだ柔らかい木の葉を下から照らして、とても美しい瞬間が訪れる。天音と手をつなぐ。天音はぼくに指先を絡めて、ねえ、今日はふたりで学校をサボったね、と言う。
「まっすぐ帰る?」とぼくがきく。
「帰って、なにします?」
「うーん…」
「ねぇ、今日はいちにち、おやすみしましょう」
「そうだね、二人でどこか行く?」
「あたし、いきたいところがあります」
「どこ?」
「うんとね…」
 天音はぼくの胸元を引っ張って、顔を近づける。ぼくの肩に腕をまわす。天音の濡れた唇が、ぼくの唇に重なる。頭が、じいん、と痺れる。ぼくは天音を抱きしめる。唇を離して、天音が囁く。
「ふたりきりに、なれるとこ」
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