R18恋愛官能小説 青山倉庫

鳴沢文芸部

第6話「ぼくがいなければ」


 授業が始まっても、ぼくは上の空。
 休み時間になって、実留衣が走り寄ってくる。
「ねぇ、完成した?」
「え、あ、うん」
「みせて」
「ごめん、まだ、ちょっと手直しが必要なんだ」
「えー、もう時間ないよ。間に合うの?」
「うん、なんとかするよ。でも徹夜して具合悪いから、今日は部活、休むよ」
「そう、大丈夫? あまり、無理はしないでね」
 その日、授業が終わると、ぼくは先に家路についた。
 ぼくはまっすぐ家に帰ることができず、公園でぼんやり過ごす。そういえば、中学の頃もこうしてひとりぼっちで公園のベンチに座っていました。そうしてぼんやり過ごして、学校で起きたことを思い出さないようにしていると、ときどき帰りがけに実留衣が通りかかって、隣に座ってお喋りしてくれた。実留衣はぼくの作文を気に入ってくれて、ぼくに興味をもっていた。作文なのか、ぼく自身に興味をもったのか、それだけを確かめたい。このまま家に帰れば、またあの日々の繰り返しが襲ってくるような気がする。
 ぼくは立ち上がり、公園を出て、学校へ戻る。
 校門付近で実留衣を待つ。校門の前には立てないから、はす向かいの駐車場に座り込んで、ひたすら待つ。風が吹かなくて、暑い。しばらくして、牧野部長と実留衣が並んで出てくるのをみつける。文芸部はどの部活よりも帰りが早い。二人の後ろから、自転車にのった上級生が追いかけてきて、囃し立てる。
「トモ! とうとう告ったの? 彼女かわいーじゃん」
 ぼくは一瞬だれのことかわからなかったけど、牧野部長は友親という名前だった。牧野部長は、クラスメートにトモと呼ばれています。
 実留衣は頬を朱く染めて、輝くような笑顔で、牧野部長となにか話している。中学の頃からしっているはずなのに、ぼくのしらない天真爛漫な表情で牧野部長と喋る実留衣をみていて、ぼくは声をかけられず、息を潜めてやり過ごします。なんだか、実留衣がキラキラしていて、綺麗だった。牧野部長と、似合っているとおもいました。
 二人がいなくなって、三十分くらい座り込んだままで、じぶんの無様な姿を誰にもみられないように、こっそりと、いつもと違う道を通って帰宅した。

 家に帰ると、父親の見舞いで母親が不在。
 夕食をレンジで暖める。グラタン。冷蔵庫にサラダ。食べている最中に涙が溢れる。一斉に、おもいださないようにしていた厭な想い出が溢れ出す。
 小学校の頃、病弱で学校を休みがちだったぼくにはあまり友達がいなかった。配られたはずのプリントを貰っていなくて、誰も届けてくれていなくて、行事予定を知らずに困っていても誰も助けてくれなくて、そういうちいさなことひとつひとつがぼくの脆い心を傷つけました。それでもやってこれたのは、天音がいたから。天音は一番の仲良しさんで、いつも一緒に遊んでいた。引っ越しのために地方の中学に転校すると訊いたとき、身を裂かれる想いがした。そのショックを引きずったまま中学に進学し、人付き合いが苦手になった。そうやって誰とも笑い会えないでいると、クラスに何人かいるろくでもない奴らが、暇つぶしにちょっかいをかけてきます。嫌がらせをして反応を楽しむ人種。あまり反応しないでいると、ちょっかいはエスカレートしていくから、ちょっと怒ってみせたり、失笑してみたり、じぶんの一挙手一投足を注視されていることを意識しながら、息の詰まる生活をおくった。幸い、そういう標的になる子はじぶんの他にも何人かいたから、イジメにまで発展することはありませんでした。
 実留衣は、ぼくが落ち込んでいるときに手をさしのべてくれた。ぼくは、実留衣とあまり仲良くしすぎると、実留衣自身に迷惑がかかるかもしれないと畏れ、さしのべられた手を握ることさえできなかった。
 作文を探す。
 押し入れの中にしまいこんだ夏休みの宿題帳に挟まれたまま、捨てられずに残っていた。原稿用紙は黄ばんでいたけど、読むのに苦労しない。机に拡げて、読みふける。ほんの七枚程度の作文。秋月義彦の『鳴沢文芸部』をおもいだす。こちらも本棚から引っ張り出して、読み返す。似ていた。決定的な共通点があった。
 読み手に観測された事実だけを伝え、感情や想像や曖昧さを排除している。当時、学校ではひとりぼっちでひたすら孤独で、そんななか感情を廃した客観的な作文が生まれたのだとおもう。ぼくは机の上に新しい原稿用紙を積み、執筆を開始する。

 期末試験が始まり、部活は休みになる。
 結局、実留衣と天音とは、あの日以来ほとんど喋っていない。テストは散々な結果。テストが終わると、まっすぐ帰宅する。執筆を続ける。
 テスト明け、姉の結婚式に出席する。六月末日、姉はみたことないくらい美しくて、旦那様はすごくイケメンで、堂々としていて、なにもかもが輝いて見えて、眼が眩む。この世にはたいせつなひとが必ずいるのだけれど、それはいつもぼくのいないところにいて、いつも誰か他人のものになる。恋人とキスをしていた天音、牧野部長と輝いていた実留衣、いまよりもっと仕合わせになる姉、そこにぼくはいない。だれからも必要とされていない。いらない。いりません。ぼくがいなければ、なにもかも完璧じゃないか。

 試験の最終日、和智天音から電話がありました。
「もうギリギリだよ、描けなくなっちゃう」
「大丈夫だよ、原稿は仕上がったから、コピーを郵送するよ」
「住所わかる?」
「連絡票があるから、他のクラスの子もあるよね」
「わかんない、ねんのためメールで教えるね」
「うん」
 それが、最後に天音と交わしたことば。
 ぼくはメールで貰った天音の住所宛に定形外封筒を作り、原稿用紙を収めて重量を量る、多めに切手を貼る。荷物をまとめて家を出る。駅前のポストに投函する。そういえば、太宰治の小説に、原稿を投函したあとに身もだえする作家の話があったはずだけど、身もだえできるほど心身を削って書いたものではないのだから、ぼくは振り返らない。走り出す。改札を通って、電車に飛び乗った。

 ぼくはホールデンになりたかったわけじゃない。
 目的はなかった。逃げ出したかっただけで、どこかに行きたいともおもわなかった。最初におもいついたのは、ぼくのことを誰もしらない土地に行って、そこで一人で生活していくことです。だけど、世間知らずの十五歳のこどもが一人で生きていくなんて荒唐無稽な夢物語。具体性がなにもない。もう帰ろうか、とも考えたけれど、どこに帰ればいいのだろう。帰るところがない。帰りたくない。自分ではしごをはずしたのに、今更なかったことにはできない。
 死ねばいいんだ。
 何も持たずに生まれてきて、誰かの裾にしがみついて生きてきて、知らない間に誰かの邪魔になっているくらいなら、ぼくは死んで了って、そうすればお父さんとお母さんは半年くらい悲しむかもしれないけれど、結婚したお姉ちゃんが子供を産めばきっと忘れてくれるだろうし、天音と実留衣にこれ以上迷惑をかけることもなく、キレイになれる。
 ぼくは、祖父の家に向かうことにしました。どのみち、乗った電車の行き着く先は祖父と亡くなった祖母の家なのです。祖父と祖母の家は、いちばん死を身近に感じられる場所であり、褪せた想い出の詰まったところ。
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