R18恋愛官能小説 青山倉庫

鳴沢文芸部

第4話「緊急事態」


 翌日の夕方、ぼくたちは真鍋俊三の家を訪れる。
 真鍋さんは思っていたよりも若いひとで、ぼくたちを自宅へ招き入れて、奥さんが麦茶を出してくれる。
「秋月先生はね、山登りと称して北海道にまいとし遊びに行っとるとよ。相当な変わりもんやけど、持ってる本ばよう交換するけんさ。なんちゅう本探しとると?」
「本の題名がわからないんです。だけど、小説とか文章を書くための教本らしいのですが」
「あらら、秋月はハウツー本なんて書いとらんけどな」
「そうなんですか…」
「いやちょっと待て、これやないか」
 そう言って差し出した古い装丁の本には、『鳴沢文芸部』と書かれている。数頁めくる。上下二段組みのレイアウトで、教本やエッセイではなく、小説。
「あん人は自分の授業で使う本しか書かんから、小説に絡むのはそれ一冊やな。最初で最後の小説たい」
「小説なんですか…。でも、鳴沢文芸部って」
「実験小説やろうな。秋山先生は鳴沢文芸部出身なんやけど、しらんかったか。序盤は文壇と出版の業界批判に始まって、前半から後半に書けて、文体が徐々に変わっていく書き方しとって、読んどると加速すっとばい。密度とか粒度とかそういうもんが。すごかけん、いっぺん読んでみ。出版社に聞けば、まだ数冊残っとるかもしれんから、学校に送ってやってもよかぜ」
「ありがとうございます」
「それもやるけん、持ってけ。その本はあるべきところに返した方がよかけんね。飛行機の時間は、大丈夫ね?」
「九時の便なので、これから電車に乗って福岡に戻ります」
「そらギリギリやないね、そんなら送るよ車で。ちょっと待っとって」
 そう言って、真鍋さんは着替えて車の鍵を取ってくる。ぼくたちは真鍋さんの車に乗って、福岡へ戻る。真鍋さんは、ぼくたちが体験したことがないくらい車をぶっ飛ばす。青信号のたびに飛行機の離陸のようにロケットスタートする。窓から見える佐賀の景色は田んぼと電柱と錆びた看板と住宅と山と、やがて夕闇に包まれてしらない間に福岡県内に滑り込んで、車通りの多い国道の殺伐とした景色を眺めながら真鍋さんと文芸部のことを話しているうちに空港へ到着した。ぼくたちは真鍋さんに再三お礼を言う。空港ロビーで、ぼくの携帯が鳴る。牧野部長から。
「七隈くん、困った事態が起きたよ。連休はまだ続くけど、明日戻るんでしょ。できたら、一度部室に顔を出して欲しいんだけど。波多野さんと和智さんも」
「困った事態ってなんですか?」
「戻ったら話すよ。あ、お土産はいらないよ」
「本、手に入りましたよ」
「マジで? じゃあ、あした持ってきてよ」
「わかりました。古い本なので、大事に包んで持って帰ります」

 帰宅した翌日の昼過ぎ、ぼくたち三人は部室に顔を出す。
 牧野部長は神妙に座って待っていて、みんなが揃ってから話を切り出した。
「鳴沢青年部が復活の危機に立たされている」
 事の発端は、温井清春が文学研究会という同好会を開いたことから始まった。文研は自分たちで作成した窪塚文集を発行し、既に教員たちの支持をあつめる団体になっていて、それなりに会員数も増えており、ここへきて鳴沢青年部の復刊を担うという話を持ち出した。鳴沢青年部を刊行するにあたり、クラブとして規定人数に達しない文芸部を廃止し、部室をつかう権利を主張し始めた。ぼくたち文芸部はその長い歴史のお陰で存えてきたが、類する活動を行う同好会によって整理廃部を求められている。
 あまりに身勝手な言い分に腹を立てた牧野部長は、温井清春を呼び出して窪塚先生の前で釈明を求めたが、顧問にも見放された部活に存在価値なんてないだろうとせせら笑ったそうだ。鳴沢青年部の復刊のために佐賀まで飛んだ話なんてできない。ぼくたちは努力していることすら、窪塚先生に示せないのです。
 だが、清春はその三者会談で若干の譲歩をみせた。かつて鳴沢青年部でやっていたように、作品の人気投票で存続する部を決めようと提案したそうだ。文研か、文芸部か。窪塚先生はフェアな験比べで勝った方が残る、実に単純明快だと言って、ぼくたちに意見を差し挟む余地を与えない。
 ルールは単純、文芸部と文研でそれぞれ二作品ずつ青年部の復刊号に掲載し、生徒からの人気投票で総合得票数の多い方が勝ち。期限は学期末。
 牧野部長は装丁のために大学のOBの芝原先輩というひとを訪問すると言い残して部室をあとに、天音は作品が仕上がればすぐに挿絵を描かないと間に合わないから、期限の二週間以上前にはある程度まで仕上げて欲しいと言って帰宅する。残った実留衣は立ちすくみ、清春の思うつぼだと言う。
「せっかく勇気を振り絞って文芸部に入部したのに、結局廃部になるなんて許せない」
「実留衣、まだ廃部と決まったわけじゃないよ」
「清春の実力は知らないけど、向こうには塔子がいるのよ」
「小野寺が気になるの?」
「よつば文学賞でも入選した実力者だよ。彼女一人で票が取れる。勝ち目なんてない」
「それでもやらなきゃ。審査員は文学漬けの編集社じゃなくて、ぼくたち生徒なんだし、勝ち目がないなんておもわない」
 そう言って踵を返すと、実留衣はぼくの背中に追いすがり、ぼくの腰に両腕を巻き付ける。
「ねぇ、もう辞めよう。一緒に文芸部なんて、辞めてしまおうよ」
 ぼくは振り返って、実留衣の肩を抱く。大丈夫だから、心配することないよ。なぜか、ドキドキする。甘い香りがする。

 残りの休みの間に、真鍋さんに借りた『鳴沢文芸部』を読む。確かに教本などではなく、ただの小説。文学気取りでもなく、最近の小説という感じでもなく、かと言って純文学でもなく、平易な文章で一気に読ませる内容。長い物語だったけれど、ぼくは三日で読み終わった。だけど、なんのヒントにもなりません。教本的な行もあったけれど、あまりに平滑化されていて、具体的すぎてよく理解できない。
 ぼくは苦し紛れに休み中の学校へ行き、部室に置いてある青年部のバックナンバーを掘り返す。人気のあった作家さんや、秋月先生とおなじように、学園生活を描いたものにしようと書き始めるけど、数枚書いては破り捨てる。何枚も書く。同時並行で異なった話を書く。書き始めは調子がいいのに、かならず三十枚くらいから減速し、五十枚に至る前に完全に筆が止まってしまう。
 ぼくはつい、携帯に手が伸びる。天音に連絡する。同じように作品を書いている実留衣に泣き言は言えない。一番良くできた原稿を持って、喫茶店で会う。珈琲を飲みながら読んで貰う。天音は、いいんじゃないかな、と言う。でも、続きを読みたくはならないと意見する。鳴沢は男女比四対六くらいで女子の多い学校だから、恋愛が主題じゃないと読んで貰うのに相当な実力がいる。温井と小野寺は、きっと恋愛モノと純文学で、ライトな読者とディープな読者の両方を獲得してくる。正攻法じゃ勝ち目はないよ。そういう作戦みたいなのを、実留衣とちゃんと話し合ってる?
「そんなの、考えてなかった…。そういえば、実留衣がどういう話を書いているかも、ぼく知らない」
「だめですよそれは、ちゃんと話して、内容とかテーマが被らないようにしなくちゃ。お互い被ったら、同じ母数で票が割れます」
「そうだね、実留衣に連絡してみなくちゃ」
「あたし、実留衣の作品すこし読みました」
「どんなのだった?」
 天音はぼくの襟を引いて、顔を近づけて囁く。
「ホラーなんです」
「えーっ、意外」
「でしょ? あの子賢いの。恋愛以外で女子の気を引けるのはホラーだと思うし。でもホラーって、ああ面白かったって票を入れたくなるものかどうか、わかりません。でも、あの子がホラーなら、聖が恋愛を書いてみたら?」
「ぼくが恋愛? 書けるかな…」
 天音はぼくに近づいたまま、ふふふ、と嗤う。
「小学生だった頃、あたしと仲良しだった男の子に、仲間が多くて喧嘩も強かった清春が勝負を申し込んで、決闘で勝ったらあたしを自分のグループに入れるって言われました。男の子はたったひとりで受けて立ったの。お前なんかに天音は渡さないって言って。かっこよかったな。決闘には負けちゃったけど、あたしがわんわん泣いて約束を反故にしちゃったんです…」
「そんなこと、あったね…」
「その男の子は、あたしのことがすきだったのかな?」
「うん、たぶん…」
「いまでも?」
 喫茶店の入り口が開いて、温井清春とその取り巻きが数人入ってくる。温井は最初からぼくたちの方にまっすぐ歩いてくる。清春は中学のころからへんな香水を使っていて、ぼくはその匂いが大嫌い。頭が痛くなる。
「ようぼっち、またサボってんの? 例のアレ、まだ五月だと安心してるかもしれないけど、学期末なんてあっという間だぜ。そうそう、青年部の復刊計画、俺たちの名前に書き換わったってこと、報せにきたんだ。だからキミたちは印刷とか装丁とか、細かいことは気にしないで…」
「ねー、なんでそういうことわざわざ言いにくるの? 自分に自信がないの?」と天音の声が店内に響く。
「後ろのアレなに? 下男、下女って感じだけどさー、バックに応援団いないと、アンタ昔から一人じゃなにもできないもんね。投票戦なんだからさ、勝負が決まるまで、あたしたちに近づかないでいただけます?」
 清春は肩をすくめて、ヤレヤレと呟いて立ち去る。いままで見たことがないくらい、無様。天音はお嬢様だけど、こんなふうに、とても気が強い。
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