R18恋愛官能小説 青山倉庫

絶頂ラジアン

第17話「その暗示」

 その狭くて蒸し暑い部屋は、ゆきえの家の地下室。
「恵未ちゃんに会って欲しいひとがいるの」
 朋子さんはそう言って、あたしを車で連れてきた。長い時間待たされて、部屋を出ようとしたけど、ドアに鍵がかかっていて、やがて朋子さんは車椅子の青年と少女を連れて戻ってくる。あたしは最初に座らされたソファに深く腰掛けて、上目遣いで朋子さんをみつめる。
 お待たせ。
 朋子さんは微笑んで、あたしのソファの周りをキャスターのついた衝立で囲う。厭な予感がする。壁の時計がカチコチ音を立てる。大きなサイドテーブルと書棚があって、一番奥の壁際にはピアノがおいてある。この部屋が狭くなっている原因は、そのピアノのせい。視線を戻すと、車椅子の青年があたしの正面に移動する。車椅子を推す少女がお辞儀をする。
「歌子と申します。車椅子の彼はチレン、人形師よ」
 あたしと同い年くらいの綺麗な少女。長い髪をカールさせて、白黒のチェック柄のワンピースに黒いカーディガンのお嬢様スタイル。キラキラしていて、良い匂いがする。
「あなたは?」
 歌子が顔を近づけて、訊く。
「恵未です、櫻井恵未」
「恵未さん、お話するまえに、お香を焚きますね。良い香りがして、リラックスできるとおもいますわ」
 そう囁いて、歌子は車椅子の青年から香炉を受け取る。蓋をずらすと、ふわふわと白い煙が立ち上る。それをあたしの顔の前へ。右に、左に、揺らして、歌子は、深呼吸して、と囁く。アロマのような香り。歌子はお香をソファの脇机に置いて、あたしの左隣に座る。じんわり、躰が重くなる。あの日、ゆきえの部屋で眠くなったあの雨の日に似ている。
「きもちよくなってきました?」
「はい…」
「恵未さんには、恋人はいらっしゃいますの?」
「ええ…」
「その方は、恵未さんを、愛していますか?」
「たぶん、きっと」
「抱きしめてくれますか?」
「うん」
「キスをしてくれますか?」
 あたしは頷く。歌子の指先が、あたしの膝を撫でる。柔らかくて、あたたかい、てのひら。
「恋人のお名前は?」
「トモくん」
「トモくんに、抱かれた?」
「抱かれ…?」
「セックス、した?」
「うん」
「痛かった?」
「最初は」
「何回もしてるの?」
「うん」
「最近したのは、いつ?」
「昨日」
「じゃあ、昨日のことを想い出して」
「どんなこと…?」
「トモくんが、ここに這入ってきたでしょ」
 歌子の指先が、あたしのショーツを撫でる。ゆっくり撫でる。小刻みに揺らす。あたしは両脚をひらいて、歌子の唇をみつめる。同い年くらいなのに、ずっと年上におもえて、なんだか安心してしまって、その細い肩に頬を寄せる。歌子の指がショーツの中へ侵入して、びしょ濡れの粘膜に直に触れる。細い指先が、つぷり、とあたしの胎内に滑り込む。
「あっ……」
 声が漏れる。じぶんの声をきいて、昨夜のことを具体的に想い出す。智之お兄ちゃんがあたしにつながったところから想い出す。お兄ちゃんはあたしのお尻を掴んで散々揺さぶって、つながったまま立ち上がって、部屋をでて居間をとおりぬけて、歩くたびにお兄ちゃんの先っぽがあたしの子宮をズンズンと衝きあげて、サッシの鍵をあけてバルコニーにでた。居間は暗かったけれど、十三階のバルコニーは町中からまるみえで、リクライニングチェアに寝そべって、あたしたちは唇を重ねたまま、声を堪えて愛しあった。町の薄明かりに照らされたお兄ちゃんのからだを見下ろして、あたしは上下に揺れていた。
「恵未、しあわせ?」
「しあわせ、しあわせよ」
「恵未のしあわせは、トモくんのおかげ」
「うん…」
「トモくんは、松下さんたちとつきあいがあるの?」
「あります」
「松下さんたちは、いいひとたちだよね」
「うん」
「お爺さん、お婆さんたちの世話をして、蛍ヶ浦を心から愛しているの」
「そう」
「田島さんも、新浜さんも、松下さんたちに感謝しているわ」
「うん」
「あなたも、松下さんに感謝しなくちゃね」
「う…、ああっ」
「きもちいい?」
「きもちい…、はぁはぁ」
 歌子の暖かい声は自然と意識に染みこんで、あたしは言いなりで、いままで感じたことのない仕合わせに充ち満ちて、だけどくちゅくちゅ音がするのがすこし恥ずかしい。歌子はあたしの肩に腕をまわして、ワンピースの襟から手を差し込んで、あたしの胸を撫でて、乳首を摘む。歌子の唇があたしの唇に触れそうなくらい近くて、甘い吐息を感じながら、歌子の卑猥な囁きに、もっと卑猥な囁きでこたえます。すると歌子も興奮してきて、吐息が乱れて、頬に赤みがさして、あたしは自然と歌子のワンピースの裾を持ち上げて、股間にするすると指を滑らせる。黒いニーソックスを履いた両脚が綺麗だけれど、歌子はショーツを履いていない。しっとり濡れた粘膜に指を沈めて、目の前をふわふわと漂うお香の煙にあたしたちのおんなのこの匂いが混じる。地下室は町の音がしない。陶酔した時間だけが過ぎていきます。
 カタン、と音がして、車椅子の青年が香炉の蓋を閉める。あたしはハッとする。歌子の指が、つるりと抜ける。
「どうしたのチレン」
「歌子、時間切れだ。もう、逃げよう」
「あと少しだったのに……」
 そういって、ふやけた指を嘗める。あたしのおでこにキスをする。
「楽しかったわ、恵未。またあそぼうね」
 歌子は立ち上がって、チレンの車椅子を推す。衝立の向こうから、松下朋子が駆け寄る。
「終わりましたか?」
「いいえ、だめでした」
「ダメって、いままでそんなこと……」
「もう時間がないのです。帰りますわ」
「時間…なんのことです?」
「あら、松下さんご存じないのね。警察があなたのこと、調べていたの。ホテルの捜索が終わって、そろそろこちらに来る頃合いです。お逃げになったほうがよろしいわ」
「待って、こっちは大金を払っているのよ」
 車椅子がガレージへのドアをくぐる。松下さんが歌子の腕を掴む。その手が震えている。
「待ちなさいよ!」
 松下さんの金切り声。歌子が、痛いわ、と言う。離して、と言う。松下さんは手を離す。歌子は車椅子を推して、部屋を出る。ガレージへのドアがゆっくりと閉まる。松下さんは携帯を取り出して、どこかにかける。あたしの前を行ったり来たり。
「もしもし、誠二」
 松下さんは棚の前のスツールに腰掛ける。泣きそうな声。松下朋子は、ゆきえにあまり似ていない。ゆきえはお父さん似だと言っていた。
「ええ、都築の二人が逃げたわ。あたしはどこにも行かれないじゃない。だからカナビスじゃないわ、ええ、片付ける。お金はあなたが持ってるんでしょ、ホテルで話していた通りにして。違うわ、何を言っているの? 違うわ。ちょっと待っ…」
 通話が切れたようだ。あたしはだらしない格好でソファに寝そべったまま、松下さんをぼんやり眺める。松下さんは電話をかけ直すけど、通じない。項垂れる。携帯が、絨毯の上に転がる。あたしはお手洗いに行きたい。松下さんが嗚咽を漏らす。今にも吐きそうな慟哭。その場に崩れ落ちて、四つん這いのまま、顔をくしゃくしゃにして子供っぽくウエーンと泣いている。かわいそうになる。あたしまでかなしくなるけど、松下さんがなんで悲しんでいるのかわからない。あたしとおなじで、おしっこに行きたいだけかもしれない。
「お手洗い、どこですか?」とあたしがきく。
 松下さんが顔をあげる。
「みんなあなたのせいよ!」
 松下さんはあたしに飛びかかって、あたしの首を絞める。きつく閉める。爪が食い込む。涙に濡れた松下朋子が、顔を真っ赤にしてあたしを凝視する。頭に血が上って、苦しくて、息ができない。あたしはようやく、松下朋子があたしを殺そうとしていることに気がつく。松下さんの両手首を掴むけど、全然力がはいらない。両脚をバタバタ蹴る。視界が朱くなる。ざらざらした離散ノイズに包まれて、智之お兄ちゃんのことを想い出す。お母さんのことを想い出す。
 そのとき、なぜか、お母さんが空港の受付のひとと話していて、手際の悪い受付のひとにあきれて「ふぅ」とため息を漏らす表情をあたしは見上げていて、あたしもおなじように「ふぅ」とため息をついてみせて、お母さんに笑われたことをおもいだす。たぶん、それは、あたしたちが蛍ヶ浦へ引っ越してきた日の出来事です。そのとき初めて飛行機に乗って、耳が痛くなった。親戚のお爺さんが亡くなって、あたしたちは寄る辺がなかったから、あたしは智之くんちに一緒に住めばいいとお母さんに提案したけれど、お母さんはそれだけはダメと首を振った。
「ころしてやる!」
 遠くで松下さんの怒声がきこえる。
 初めて蛍ヶ浦小学校に登校した日、あたしは校内の菜園の隅にしゃがんで、羽を拡げてひなたぼっこしている紋白蝶の模様をみつめていた。じっとみていると、模様が混ざり合って、グレーから白へ、白から純白へ、純白から限りない真っ白へ、ひらいていく。
 純白から真っ白へ。
 真っ白。
 なにもかも。
 お母さん。
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