R18恋愛官能小説 青山倉庫

絶頂ラジアン

第15話「貴婦会の密談」

 久しぶりに訪れた老人ホームのネームプレートから、何人かの名前が減っていることに気づく。
 あたしはゆきえと一緒におにぎりを握る。白井さんのお婆さんにおにぎりの握りかたを教わって、あたしでも三角形のおにぎりが握れるようになった。握ったおにぎりを、楕円形のお皿に並べていく。大きさは不揃いだけど、細かいことは気にしない。
「ねぇ、ゆきえンちって、お爺ちゃんいる?」
「えーっ、いるよ」
「あ、いたんだ。会ったことないからさ」
「うーん、寝込んじゃってるからなぁ」
「元気ないの?」
「そういうわけじゃないけど、あたしとは最近喋ってないなぁ」
「櫻井さんのお嬢ちゃん、ちょっと」
 白井さんがあたしを呼ぶ。あたしが駆け寄ると、和菓子の包みをくれる。あたしは微笑んで、ありがとうと言う。白井さんはいつも千歳餅をくれる。
「早苗さん、最近舞台には出てないの?」
「はい、お母さん、役者は辞めたんです」
「まぁ、そうなの。もったいないねぇ」
「あたしは、お母さんにお芝居をして欲しくありません」
「あら、どうして?」
「お母さん、女優やってると、いろんな男の人に騙されるから」
「あら、アハハ…。早苗さんは別嬪さんだものねぇ」
 お母さんは近所づきあいをしないけれど、いつの間にかこの町の人に知れ渡っている。お母さんを知る人は、いつもお母さんを美人だ綺麗だと褒めそやす。あたしはそうおもっていなかったけれど、みんなが口々にそう言うとそんな気もしてくる。あるいは、遠回しにあたしが将来お母さんみたいになるって言われているような気もする。お母さんは男の人なら誰にでも色目をつかいます。あたしはそれがすごく不潔なことに感じたけれど、お父さんのいない母娘家庭でやっていくにはしょうがないんだと自分に言い聞かせていた。だけど、将来あたしもそんなふうになるとおもうと、気に入らない。誰でも良いなんておもわない。あたしは智之お兄ちゃんだけしか眼に入らない。
「お嬢ちゃん、どうしたの?」
 白井さんが心配そうにあたしを覗き込む。あたしはなんでもないです、と首を振ってゆきえの元に走る。千歳餅を二人で分ける。あたしはお手洗いに行く。
 お手洗いは二階。階段を上って、倉庫と大会議室の前を通る。スリッパが歩く度にきゅっきゅっと鳴る。お手洗いに入る。個室に入って腰掛ける。携帯をひらく。メールも着信もない。あれから達也はかけてこない。達也のアドレスをコピーして、拒否リストに入れる。電話番号も着信拒否にする。個室を出る。鏡の前で、髪の毛を直す。
 お手洗いを出る。ふと、大会議室から見える鉛色のそらが気になる。すこしひとりになりたい。あたしは大会議室を通って、レースのカーテンを開けて、サッシを開く。バルコニーに出る。雨がまだしとしと降り続けている。今年の残暑は蒸し暑かったのに、急に寒くなった。このまま秋になってしまう。遠くに新しい市民体育館が見える。あたしがここに引っ越してきたときは無かった建物が増えている。秋のまえみごろは太く短く、長雨が過ぎたらきっと瞬く間に冬の気配、ああ今年ももう終わってしまいます。
 振り返ると、大会議室に貴婦会のメンバーが集まっている。朋子おばさんの姿もみえる。あたしがごめんなさいと声をかける前に、髪の長いひとが言う。
「田島さんのお爺さん、腕が見つかったんですって」
 あたしはヒヤっとして、柱の影に隠れる。サッシが開いていることに、みんな気づいていない。
「田島さん、ぼんやりしてらっしゃるから…。警察の方はみえたの?」
「いいえ、うちの方には。でも、芝山さんがしばらく刑事の方と聞き込みにまわられていたそうよ」
「まあ、それって、あの例の刑事さん」
「そうそう。厭ねえ」
 歩き回る足音。雨脚は弱くて、きっと雨音もきこえないけれど、いつか誰か気づく。そして、信じられない台詞を聞く。
「そういえば、新浜さんのお爺さんはまだ死なないの?」
「まだみたいよ。もう、そろそろだって、所長さん仰るから、ホームを出て貰ったのにね」
「人型は作って頂いたの?」
「それはとっくに…。でもご本人があれだけ元気じゃあねえ」
「男手が減って、ご遺体を運ぶのにも一苦労ですもの。そうじゃなきゃ、田島さんちだって、あんなに腐れるまで放っておかないでしょ」
「まぁ、そんなに腐らせたの?」
「周りの家から苦情があったもの。一度腐り始めたら、誰も手をつけなくなりますから、亡くなられたら、早め早めに連絡を徹底して頂かないと。それ、新浜さんにも伝達、よろしくね」
「先日、役所の方が赤坂さんのところへ面会にみえられたそうよ。でも人形に会わせて、今眠っていますからって言ったら、それではいわかりました、ですって。オホホ…」
「危ないわ。なるべく会わせるのは最後の手段にして頂かないと。わたくしたちが、口裏を合わせますから」
「そうでしたわね。赤坂さんにはちゃんと言っておかなくちゃ」
「赤坂さんのお婆さんは、いまおいくつ?」
「百十二歳だそうよ、アッハハハ…」
 一斉に笑い声が響く。雨脚が急に強くなって、バルコニーの床を雨粒が叩く。あたしの太股も濡れる。
「あら、ドアが開いてるわ」
 声が聞こえて、ひょいと、ゆきえのお母さんが顔を覗かせる。あたしと目が合う。
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