R18恋愛官能小説 青山倉庫

絶頂ラジアン

第14話「探検」

 週末まで雨はあがらず、ずっとしとしと降り続けている。
 華欄ホテルまで、ぼくたちはレインコートを着て自転車を走らせた。新浜さんは欠席。雨のせいではなく、貴婦会の集まりに呼ばれたせい。恵未と一緒にいるのかもしれない。
 ホテルの入り口に自転車をとめて、レインコートを脱ぐ。鞄から懐中電灯を取り出す。栗山はデジタル一眼を首にかける。
「よし、じゃあ、櫻井くん。案内を頼むよ」
「うん…」
 こういうとき、了解!とか叫んで敬礼するほうがいいのか迷ったけれど、あまり彼らのノリに染まりたくない。ぼくたちは玄関ホールに侵入して、二階への階段をのぼる。三人分の足音が、不気味にこだまする。ときどき割れたガラスを踏みつけて、じゃりじゃりと厭な音を立てる。赤錆や緑色のシミに覆われた防火扉の残骸をくぐり抜ける。結愛とつぐみと三人で煙を吸って酩酊したあの部屋に入らず、ぼくは直接廊下へ抜ける。天井が崩れて垂れ下がり、その隙間から銀色のパイプが覗く。動かないエレベータとコインランドリーを素通りし、階段を上る。久松が懐中電灯を点ける。
「栗山くん、ぼくは厭な予感がするよ」
「久松くん、きみは探検に来る度に、おなじことを言っていないかい?」
「景色がまるでカイル・クーパーのようだよ」
「いいや、むしろリドリー・スコットじゃないか」
「栗山くん、おしっこしたいよ」
「どうしてトイレを済ませておかないのかね。すこし我慢し給え。上の階へたどり着けば、カイル・クーパーデザインの厠で用が足せる」
「はああっ、限界だ……」
「久松くん、耐えるんだ」
「ついたよ」
 ぼくが振り返って言う。内股で悶える久松と、デジタル一眼を構えた栗山が緊張する。
 階段の出口から左右と真正面に廊下が延びる。ぼくは真正面の廊下を指さして、言う。
「あの突き当たりの部屋だよ。行こう」
「ちょっと待ってくれ、櫻井くんはどうしてそんなにリラックスできるのかね」と栗山。
「だって、一人じゃないもん」
「そっ、そうか。ううむ……」
 こんな芝居がかった剽軽ペアと一緒では、怖いものも怖くなくなる。それに、ここへ来るのは二度目だから、おなじ現象が起きても落ち着いて対処できるはず。いまは、あのときのように酩酊していない。
 ぼくは勇敢にも先頭に立って、廊下をズカズカと進む。栗山と久松がちょろちょろとついてくる。埃だらけの絨毯と、ドアの壊れた客室群。雨音が激しくなって、廊下は薄暗い。久松が照らす先に、青白いカーテンが揺れていて、割れた窓ガラスから雨が降り込んでいるのがみえる。近づくほどに、ぼくにも不安が湧き上がる。前回もこんな雨が降っていた。
「ああっ、だめだ。もっ、漏れちゃう……」
 久松がうめき声をあげる。栗山が振り返って言う。
「しょうがないなあ、そこでちゃっちゃと済ませ給え」
 久松は客室のドアに向かって用を足す。懐中電灯の灯りがなくなって、ぼくは立ち止まる。栗山が代わりの懐中電灯をぼくに渡す。ぼくはスイッチをつけて、奥の部屋まで進む。懐中電灯の光が消える。懐中電灯を軽く振ると、チカチカとついたり消えたり。久松が用を済ませて、灯りをぼくらに向ける。部屋のなかを照らす。
「うおおっ」
 栗山がへんな叫び声をあげる。ぼくもびっくりして腰が引ける。天井に、人がぶら下がっている。それも、六人。ぼくも灯りを向ける。干物のような人間が、ボロをまとっている。
「し、屍体…?」
 久松が呟く。ぼくは接触の悪い懐中電灯をぶらさがった人に向けて、近づく。屍体、にしては、なんの匂いもしない。指先で触れる。触る。
「やめなよ、櫻井くん」と栗山。
「これ、屍体じゃないよ」
「じゃあ、なんだ?」
「人形…かな? 触ってみて」
 栗山が近くの人形に触れる。干物人形はカーテンレールにぶら下がっていて、わずかに触れるだけでからからと滑って遠ざかる。レールは部屋の外までつながっている。ぼくがみたのは、この人形だった。表皮は、たぶん、合成繊維かなにかでできている。人間そっくりだけれど、その顔は作り物然とした無機的な質感が漂う。栗山がデジカメで写真を撮る。ぼくがその干からびた顔を照らしていると、栗山がまた叫ぶ。
「新浜五郎さんだ!」
「えっ、どれ?」
「それだよ。それ、新浜さんとこのお爺さん」
「言われてみれば、そんな気もするけど……、でもこれ、人形だよ」
「なんのために、人形なんかを……」
「さあ、見当もつかない」
「五郎さん、まだ行方不明なんだよね?」
「うむ、確か……」
 遠くでゴウンと地鳴りがとどろく。栗山が唇に人差し指を当てて、ぼくたちは耳を澄ます。
 ゴウウウウウウゥゥゥゥン、ガコン。
「エレベータだ!」と久松。
「まさか、動かないよ」とぼく。
「いっ、行くぞっ。オカルト研究会の名誉にかけて、この謎を解き明かすのだっ!」
 栗山が威勢良く廊下を指さすけれど、自分が先頭に立とうとはしない。仕方がないから、ぼくが先に進む。廊下を駆ける。丁字路を右折して、エレベータホールへ。右側の一機だけ電気がついていて、階下へ進んでいる。地下一階で止まる。
「地下だよ。階段で行こう」
 ぼくたちは来た道を戻り、階段を駆け下りる。一階まで下りる。一度踊り場から出て、非常階段の扉をくぐる。地下へ駆け下りる。薄暗い建物内が、やがて完全な闇に包まれる。久松の照らす灯りと、ぼくが持つ接触不良の懐中電灯の二つだけが頼り。電気の消えた非常口の電灯は割れていて、ピクトグラムの首が無い。さび付いた扉を、ぼくと久松が押し開ける。
 駐車場のような広間。コンクリート剥き出しの柱がいくつか見える。数歩あるくと、地面が剥き出しの土だと気づく。ぶよぶよして、苔に覆われていて、気持ち悪い。ぼくらは呼吸を整える。
「あっちに灯りがみえる」
 栗山が指さす。懐中電灯を向けると、別の非常口の扉が半開きで、灯りがチラチラ揺れている。久松が走り出す。
「あっ、危ない」
 ぼくが叫ぶと同時に、久松が地面の穴に吸い込まれる。悲鳴。ぼくらは慌てて駆け寄る。長方形の穴の中に、久松が仰向けに転んで、眼を見開いて口をぱくぱくさせている。
「大丈夫か、久松くん」
「くっ、栗山くん。くさい、くさいよ…」
「こっ、これは……」
「なに、なんなの?」
「久松くん、周りをみちゃダメだ。いまいく」
 栗山は穴の中を指さして、ぼくに促す。
「俺がひっぱるから、穴の途中まで頼む。さあ」
 ぼくはしぶしぶ栗山の手を掴んで、穴の中に這入る。手を伸ばして、久松に手を伸ばす。足が滑って、ぼくまで穴の中に転げ落ちそうになる。懐中電灯を落とす。栗山がしっかりと掴んでくれて、ぼくは穴の壁に頭から突っ込んで泥だらけになるけど、落ちずに済む。もういちど足場を確認して、久松に手を伸ばす。ぼくが落とした懐中電灯に、穴の底から突き出た腐乱死体が照らされる。それをみた久松が、頓狂な悲鳴をあげて、ぼくの腕に飛びつく。栗山が一気にぼくたちを引き上げる。ぼくと久松は地面に寝転んで、栗山は尻餅をついて、ガクガク震える。
「く、栗山くん…」
 久松がポケットから携帯を取り出す。
「ああ、通報してくれ。この事件は、ぼくたちオカルト研究会には、手に負えない」
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