R18恋愛官能小説 青山倉庫

快楽コサイン

第18話「告白」


 ぼくは喫茶店の窓際の席に座って、ぬるくなった紅茶をみつめる。
 窓からみえる夜の通りを挟んで向かい側の建物は、数ヶ月前、ぼくが預けられた児童相談所だ。そこにひとりで座って、十五分が経過。相談所から、少女を伴って、早苗叔母さんが出てくる。ぼくは席を立つ。叔母さんと少女は喫茶店に入る。ぼくの席まで歩く。叔母さんに促されて、少女はぼくの向かいに座る。叔母さんはぼくの隣に座る。
「夏美ちゃん……」
 夏美はうつむいたまま、ぼくをみない。早苗叔母さんが囁く。
「叔母さん、席を外すね」
 早苗叔母さんはそう言って飲み物を持ち、席を立つ。入り口の方へ。ぼくたちの席の横を、スーツの上着を持ったおじさんが通る。ついたての向こうで、煙草を吸っているギャルっぽい子がこっちを眺める。携帯に目を落とす。天井のシーリングファンが回転するたびに、間接照明がちらちらと揺れる。小さな音量で、ピクシーズの古い曲が流れる。お父さんがすきだった曲。
「夏美ちゃん、どうして、いなくなっちゃったの?」
「うん……ごめんね」
「ぼく、叔母さんから詳しいことはきいてないんだ。だから、言いたくなければ、言わなくていいけれど……」
「うん」
「夏美ちゃんは、ぼくのまえで、演技をしていたの?」
 夏美はますますうつむく。膝のうえで組んだ手の甲に、涙がぽたぽた落ちる。女性の店員さんが、いらっしゃいませ、と入り口で頭を下げる。店の前で、車がクラクションを鳴らす。ぼくはポケットからハンカチを取り出す。椅子が小さく軋る。夏美に差し出す。夏美はハンカチを受け取って、涙を拭く。
「どうして、来たの?」
 夏美が涙声で訊く。
「会いたかったんだ、夏美ちゃんに」
「あたしのことは、忘れて」
「どうして?」
「あたしも忘れるから、トモくんのこと」
「どうして?」
「想い出すと、つらくなるから」
「夏美ちゃんは、ぼくのこと、嫌いなの?」
 夏美は沈黙する。窓の外に顔を背ける。その横顔をみて、ぼくは突然おもいだす。ぼくがここの児童相談所に預けられたとき、夏美もそこにいた。夏美も、ぼくとおなじような問題を抱えた子。ひとりでは明日を暮らすこともできないような弱いこども。
「もう、こないで……」
「夏美ちゃ…」
「会うと、あたし、つらくなる」
 ぼくはうつむく。喜んでくれるとはおもっていなかったけれど、こんなに悲しませるとも想像しなかった。夏美はぼくにハンカチを返す。受け取る。
「きてくれて、ありがとう」
「なつみ…」
「さよなら」
 夏美は席をたつ。足早に喫茶店を出る。入り口付近の席で待っていた早苗叔母さんの声に答えず、そのまま喫茶店を出て、児童相談所に戻っていく。建物の入り口で、見覚えのある男性職員が待っている。二人は建物の中へ消える。入り口のドアがバタンと閉まる。

 早苗叔母さんの車の後部座席にすわる。
「大丈夫?」
 叔母さんが心配する。ぼくは泣いている。ルームミラーに映るぼくの眼は真っ赤。叔母さんが車のエンジンをかける。車がバックする。ぼくはハンカチを出して、涙を拭く。拭いても拭いても、涙がとまらない。ぼくは男の子だから、声をあげて泣かない。でも涙をとめることはできない。
 なにかが頬を引っ掻く。ぽろりと座席のうえに落ちる。なにか、ちいさなもの。ぼくは手探りでさがす。指先になにか四角いものが触れる。摘む。窓から差し込む喫茶店の灯りで、それが携帯用の小さなメモリカードだとわかる。
 ぼくは携帯を出して、メモリカードを挿す。データフォルダを開いて、メモリカードに切り替える。録音データ。再生する。携帯を耳にあてる。
「トモくん、こんにちは、こんばんは、かな。今日、トモくんがあたしに会いに来るときいて、このメッセージを残すことにしました。会えば、きっと、あたしはなにも喋れなくなるだろうし、早苗さんも一緒だとおもうから。あたしが今から話すことは、あたしがしっている限りのことで、トモくんにだけこっそり伝えます。だから、他の誰にも、教えないで。
 あたしはこどもの頃、早苗さんのお芝居をみて、役者になりたいとおもって、美浜の劇団にはいったの。しらないとおもうけど、日本舞踊とか古典作品とか、ちょっと硬い感じのお芝居をする劇団なのだけど、あたしみたいな未成年でも、子役としてつかってくれるし、お稽古は厳しいけど、お給料ももらえるのね。あたしは素養はなかったけれど、早苗さんが紹介してくれたおかげで、ここでお勉強することができてる。早苗さんは、いろんな意味で、あたしの恩人なの。
 あたしのお父さんは、一昨年、病気で死にました。お母さんは、春になってあたしをアパートに置いて、たぶん男の人とどこかに行ってしまった。あたしはスグにここの児相に預けられて、引き取り手を探したのだけどみつからなくて。そのとき、早苗さんから、栄生劇場に寮があって、住み込みでお芝居のお勉強ができるってきいたの。だけど、寮に入るには、あたしが美浜に貰ってる以上のお金が必要で、どっちかっていうと二代目、三代目のボンボンが住んでるようなすっごい綺麗なところで、あたしはお金なんてないし、いちどは諦めました。でもね、早苗さんが、お芝居で寮のお金をまかなえるって教えてくれたの。
 それが、お芝居家族。
 お芝居で、家族を演じるの。あたしは、それがどういうことかわからなかったし、どうしてそんなことでお金が稼げるのかもわからない。いまでも。だけど、あたしのお母さん役に早苗さんがなってくれたし、お父さん役の方にも優しくしてもらえた。あたしたちは家の中でも外でも理想的な家族として振る舞って、たくさんの人たちに愛想を振りまいていた。そのうちに、あたしたちの雇い主が、片山さんだとしったの。
 片山さんはときどき町会の見回りと称して、ウチに来てた。お父さんとお母さんは片山さんが来る前に家中のものを整理整頓して、初めて訪れたときの状態にもどしてた。片山さんは、ここはモデルルームだからよごさんといて、とか言ってた。そしてあたしたちにビデオをみせた。片山さんは町中に監視カメラを設置してて、あたしたちの行動を監視して、いちいちダメだしするの。煩かったけど、片山さんはあたしたちに手渡しでお給料をくれた。あたしはマニュアルに従うことを覚えて、片山さんが望むように、自然に振る舞うようにした。そうやって、ほんの半年くらい我慢すれば、ひとりで生活できるだけのお金が貯まる。
 あたしのお母さん役は早苗さんだし、お父さん役だって、製材所の所長さんだから、蛍ヶ浦のひとたちに顔を知られてるのね。でも、二人ともまったくの別人になりすましてた。早苗さんもそうだけど、製材所の所長さんも元舞台俳優でさ、役者さんってすごいなあっておもった。一週間いっしょに過ごして、ただ演技しているだけなのに、本物の家族におもえてきて、あたしは二人になんの抵抗もなく、おとうさん、おかあさん、って呼びかけることができたの。あたしが巧くやれたのも、お父さんとお母さんのおかげ。半月経って、あたしはこのまま蛍ヶ浦に溶け込んで、普通に暮らしたいっておもうようになった。台本とマニュアルどおりにやれば、ずっとずっと長くそこに居られたのに、あたしがつまづいたせいで、お父さんもお母さんも片山さんも、みんなひっくりかえっちゃった。あたしが、間違えたの。それは、マニュアルにも台本にもなかったこと。
 あたしは、トモくんを、ほんとうにすきになったの。
 すきになったんじゃない、ただ愛想を振りまいているだけ、そう自分に言い聞かせてさ、ちょっとずつ仲良しになって、それだけで仕合わせでした。でも、トモくんに誘われて、あたし嬉しくて、全然自制がきかなくなってた。ごめんね、トモくんを責めてるみたい。でも、あたしはそれでよかったの。初めての相手がトモくんでよかった」
 車が山のちかくを通る。たくさんのパトカーのランプ。製材所の周りを、警察車両が取り囲む。たくさんの照明。白いライトバン。地方放送局の車両とテレビカメラとマイクを持ったひとたちが走る。カメラのフラッシュが明滅する。
「片山さんが死んだのは、自殺じゃないの。それもほんとうはあたしのせい。あたしが弱くて、狡くて、落ち着いて考えることができなくて、パニックになってしまったせい。トモくんと、初めてのあと、あたしは不安で怖くてどうしようもなくて、ほんとうはお父さんやお母さんに相談すればよかったのに、あたしは片山さんに相談してしまったの。あたしはもう演技を続けられないって。だけど、蛍ヶ浦のひとたちに一番近づいていたのはあたしだったから、途中退場を許してくれなかった。お芝居だって、そうだもんね。物語が終わるまで、お客さんを夢から醒ましてはいけない。
 片山さんはあたしに頭を冷やせと言って、地下室に閉じ込めた。真っ暗な部屋のなかで、あたしは何時間も怖くて震えてた。だけど、半日くらいで、あたしは部屋から出してもらえた。出してくれたのは、あたしのお父さん役のひと。さっきも言ったけど、製材所の所長さん。三島さんって言ってたっけ。あたしにとってのお父さん。
 お父さんはあたしを連れ出してくれて、片山さんはリビングでもう死んでた。お父さんはここの児相に連絡してくれて、すぐに戻ってきた。その後、どうなったかわからないけれど、新聞には片山さんは自殺って出てた。でも、自殺じゃない」
 交差点で車がとまる。早苗叔母さんは、ぼくのお父さんみたいに余所見をしないし、十分な車間距離を取る。右折車のライトが眩しい。警察官が赤い誘導棒を振る。検問を敷いている。
「ねぇ、トモ……。あの日のこと、覚えてる? 夢のようなできごとだった。トモくんにとっては、あたしはたくさんの女の子のひとりに過ぎないかもしれないけど、あたしにとって、トモくんは……」
 沈黙、夏美の泣き声、吐息。ぼくとおなじ、ほんのこどもなのに、いろいろを背負って息を切らしている。そうやって背負わされているものが、これから先軽くなることはないのかもしれない。夏美が嗤う。急に明るい声。
「トモくんさ、あたし初めてなのに、何回もしたよね。ウフフ、覚えてる? 十五回もしたんだよ。びっくりしちゃった。女の子みたいな顔で、細くてかわいいのに、トモくんがあんなにパワフルなんて想像しなかった。あたしのキャパ越えてるっておもったけど、きもちよくて抵抗できなかった」
 車が走り出す。検問を通過する。パトカーの脇で、煙草をくわえた大内刑事が、製材所のある山を眺める姿が通り過ぎる。
「短かったけれど、トモと一緒に過ごせて、楽しかった。ありがとう、トモ、すきよ」
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