R18恋愛官能小説 青山倉庫

快楽コサイン

第10話「存在しない家族」


 期末試験の答案が返ってくる。
「百瀬、百瀬夏美。なんだ、休みか」
 社会科の先生が夏美の机をみる。夏美は学校を休んだ。昨日、突然あんな関係になってしまって、今日は学校でどういう顔をしてどう反応すればいいかわからなくて、すこし心配していたのに、拍子抜けした。もしかすると、昨日あんなにたくさん愛し合ったのがいけないのかもしれない。少ししかでないとおもっていた破瓜の血が結構たくさん流れたから、もしかすると貧血になっているかもしれない。あるいは炎症を起こしていたり、なにかそういう体調不良になっているかもしれない。
 ぼくは授業に身が入らず、ずっと夏美の心配をしながら無駄に時間を過ごす。授業が終わると、授業中いなかったつぐみがぼくを呼びに来る。
「トモくん、芝山さんが呼んでるよ。応接室」
「わかった」
 ぼくは即答して、席を立つ。廊下に出て階段を駆け下りる。職員室の前を通って、応接室の前。ドアをノックする。入れ、と濁声がきこえる。ドアを開けて部屋に入ると、椅子に座った芝山さんがファイルを開いていて、その後ろに、禁煙の応接室で煙草を吹かす大内さんが背を向けて立っている。振り返る。
「昨晩はどうもー」
 大内さんが言う。芝山さんに促されて、ぼくは椅子に座る。
「あの、芝山さん」
「はい?」
「ゆきえちゃんは、大丈夫ですか?」
「ええ、ショックを受けているけど、乱暴はされてないし、徐々に落ち着いて来たみたいですよ」
「犯人は……?」
 芝山さんは困った顔をする。この人は警官なのに、思っていることが全部顔に出る。
「捜査中」と大内さんが言う。
「そうですか…」
 大内さんはテーブルに手をついて、ぼくに顔を近づける。
「兄さんには昨日世話ンなったから、特別に教えてやるよ」
「はい……」
「あいつ、童貞なんだ」
「はあ……」
「三十八年間童貞で無職、ロリコンで半引きこもり。親の金で好きなモン食ってセンズリこいて好きな時間に寝起きしてたらどうなるとおもう?」
「いや、さぁ?」
「トウ、ニョウ、ビョウ、になるんだよ。わかる? あのデブ、両脚とも半分腐ってた上に、無理して二階の自分の部屋からダイブしちゃったから、ボキッ! って折れちゃったの、二本とも。腐った脚はもうひっつかねーよな。だから」
 大内さんは自分の太股を手刀で叩き「病院で切り落としたの」と言って嗜虐的に嗤う。
「そうなんですか……」
「まあ、脚腐る前に、心が腐ってんだからな、救えねーよ」
 芝山さんが咳払いする。ファイルを開いて、ぼくに訊く。
「えっと、櫻井くんは、百瀬さんと仲がよかったんだよね?」
「あ、はい、お友達です」
 大内さんがファイルの写真を見る。制服姿の夏美。
「ほーお、兄さんこの子とヤったの?」
「ちょっと大内さん、子供にそういうこと言うのやめてくださいよ」
「うっせバカ、今時中学生なら女の二三人とファックしてンの普通だろ」
「普通じゃないですよ、ちょっと黙っててくださいよ、あっ、ちょっと」
 大内さんが芝山巡査にヘッドロックする。大内さんは細身の芝山さんより恰幅がよくて、背は高くないけど強そうだ。芝山さんを組み伏せたまま、くわえ煙草でぼくに訊く。
「このおねーちゃん、家族もろとも蒸発しちまったんだよ。兄さんなにか知ってるんじゃないの?」
「ぼく、昨日の大雨のあいだ、百瀬さんといっしょに川沿いの公民館で雨宿りしていました」
「何時から何時まで?」
「午後三時から、夜の八時くらいまで」
「ヤってたの?」
「あ、いえ…」
 大内さんは芝山さんを放り出す。ぼくの両頬をバシンと両手で掴んで、顔を近づける。この学校の先生にも、前の学校の先生にも、親戚親類にも、いや、ぼくの識っているどの大人にも、こういう目つきのひとはいない。
「兄さん、よーくおもいだし。ナツミちゃんはそのとき、なんかヘンじゃなかったか?」
「ヘンって……」
「いつもと、違ったはずだ」
「いつもと、いえ、そんなこと」
「いいやなんかある!」
 大内さんは大声をあげる。目の前のくわえ煙草がジリジリと音をたてる。まるでぼくが取り調べを受けているみたい。椅子ごと転んだ芝山さんが立ち上がる。
「やめてください、子供を脅したらだめですよ」
 大内さんはようやくぼくを離す。芝山さんのお茶に吸い殻を捨てる。ため息をつく。芝山さんがファイルを片付ける。ぼくはうつむいたまま、あの日の記憶を早送りする。いつもと違うところ。そんなのない、そんなのない、いつもと変わらないじゃないか。いや待って、巻き戻す。再生。
『夏美のこと、忘れない?』
 ぼくは顔を上げる。大内さんは二本目の煙草に火をつけて、椅子に座ったままぼくに背を向ける。
「百瀬さん、そういえば、なんだか……不自然で」
「ほお…」
 大内さんの抑揚のない声。
「もう、お別れみたいな感じで」
「そうか」
「道で分かれるときも、なんだか淋しそうでした」
「まぁ、女と別れるときはだいたいそういうもんだな」
 大内さんはさっきと違って全然食いついてこない。芝山さんがノートを開いて訊く。
「百瀬さんと会ったのは、それが最後?」
「はい、公民館を出たのが七時半くらいなので、たぶん八時くらいかな…」
 大内さんが頭だけ振り返って言う。
「六時には雨あがってたはずだよな。それから一時間半も、なにしてたの?」
「気づかないで、おしゃべりしてました」
「それだけ?」
「よく覚えていないんです」
「そっか、ありがとさん。もう帰っていいよ。あー、ついでに小原崇を呼んできて」
 ぼくは立ち上がる。お辞儀をして、部屋を出ようとする。ドアノブにかけた手を引っ込めて、振り返る。
「百瀬さん、どこかに引っ越したんじゃないですか?」
「なんで?」と大内さん。
「だって、今まで普通に暮らしていたのに、お別れのこ…」
「兄さん、あのな、百瀬なんて家族はさ、この町には存在してねーの」
「え…?」
 芝山さんが慌てて大内さんを手で制止する。大内さんは芝山さんの手を払いのける。
「転入もしてねーし、転出もしてねーの。百瀬が住んでいた家はモデルルームでさ、不動産屋が倒産して長いこと放置されてたの。多いでしょこの町そういうの」
「大内さん、それ捜査情報ですから」
「いいんだよ、バレて困るような重大事件じゃねえだろ」
 ぼくは、失礼します、と頭を下げて、応接室を出る。

 放課後、つぐみと二人で下校する。ぼくは、どうしても百瀬家をみておきたくて、帰り道は南が丘へ迂回する。
「夏美、どうしたのかな?」
 つぐみが呟く。炎天下のアスファルトから熱気がたちのぼり、遠くの景色がゆらゆら揺れる。
「つぐみちゃん、昨日はなっちゃんと遊んでたんだよね」
「うん、アウトレットで夏服とか水着買ってきたよ」
「借金とかあって、夜逃げしたのかも。もしそうなら、家の前に誰かいたりするんだよね」
「やだ、それ怖い」
 背後から駈けてくる足音。振り返ると、崇が飛びかってきて、ぼくは道の脇によける。
「トモ、お前昨日、あの後どうした?」
「あのあとって?」
「ほら、片山のジジイに追いかけられたじゃん」
「あ!」
「その話、芝山にした?」
「してないや」
「大丈夫、俺も達也も喋ってないから」
「話した方がいいかな?」
「別にいいんじゃね。てか変なことに巻き込まれそうでヤじゃん。そもそも、ジジイも俺らがだれか把握できてないみたいだったし」
 ぼくたち三人が曲がり角を曲がると、玄関先に黄色い警察の封鎖テープが張られた百瀬家が現れる。門扉のまえに識らない警官が立っている。ぼくたちは二階建ての大きな百瀬家に近づく。ぼくが一度だけここへきたのは、脚を怪我したときだ。とても綺麗な家だと関心したものだけれど、綺麗と言うより、たしかに展示用の家だ。完璧に手入れされた庭から、室内の調度品に至るまで、家主の趣味ではなく、モデルハウスの建設業者や不動産屋が選び抜いたマーケティングという美醜の糾合だ。だから、そこには現実の生活はにおわず、生活を模した形骸だけがある。廃墟の美と似ている。いまはだれも住んでいないけれど、以前からだれも住んでいなかったわけだ。
「ほんとにいなくなったんだね」とつぐみが呟く。
 改めてこの家をみていると、ここに夏美が住んでいたという事実が信じられなくなる。
 ぼくらは百瀬家の前から立ち去る。途中で崇と別れる。川沿いの道を歩く。遮蔽物のないその道は太陽の光が照りつけ、昨日あれだけ大雨だったのに、道路はカラカラに乾いている。その代わり、川の水は濁ったままで、ゴウゴウと音を立てて流れる。つぐみが川を指さす。
「あれ、なんだろう?」
 つぐみの指さした先をみつめる。黄色い藁のようなものが大量に浮かんでいて、川岸で作業服を着た男たちがそれをかき集める。ぼくらは歩きながら、その作業現場に近づいていく。やがて、黄色い物体が藁ではなく、おが屑の山だと気づく。茶色の粉が舞い上がり、それを網でせき止めて、大きな熊手のようなもので岸に掻き出す。
「製材所のひとたちだね」とつぐみ。
「昨日の雨で、流されちゃったのかなあ」
「あっ、あの人」
 つぐみがまた指さす。ヘルメットを被っていない、ベージュの作業着の男性。斜め後ろからは顔はよくみえない。
「あの人ね、製材所の所長さんなんだけど、すっごい男前なの。ウチら小学校のころは、製材所の前を通るのが近道だったんだけど、あの人と会うといつもお菓子もらってた。なんだか優しいし、声がよく通るの。カツゼツが良いっていうの?」
「つぐみって、年上好きなの?」
「うん、好きー」
 ぼくはその男性の後ろ姿に見覚えがある。識っているひと。歩きながら眺めていたけど、その男性はヘルメットを被って軽トラックの方へ走り出してしまう。みえなくなる。
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