R18恋愛官能小説 青山倉庫

快楽コサイン

第2話「転校」


 その日。
 相談所の男性職員の車で、ぼくは叔母のマンションまで送ってもらう。早苗叔母さんはマンションの玄関先で待っていてくれる。ぼくは車の中で会釈する。職員が車を降りて、叔母に封筒を渡す。後部座席のドアを開く。車を降りる。
「じゃあ、智之くん、元気で」
「ありがとうございます」
 お辞儀をする。最後までこの男性職員の名前を訊かなかった。車が走り去ると、ぼくは叔母に向き直ってお辞儀をする。叔母は、お父さん大変だったね、と言う。ぼくは、ええ、はい、と曖昧に答える。エレベータで十三階にのぼる。部屋に入る。おんなしか住んでいない家独特の薄い匂い。ぼくは、おじゃまします、と言う。
「トモくん、おじゃましますじゃなくていいのよ」
「あ、はい」
 ぼくは叔母の櫻井早苗に引き取られることになった。
 ぼくの親戚親類は遠くに住んでいる人ばかりで、お父さんと付き合いが深いのは、お父さんの妹の早苗叔母さんだけだった。五月も終わりに近づき、ようやく中学にも慣れた頃になってようやく出た答えが、蛍ヶ浦への転入だ。
 早苗叔母さんは去年と変わらない。叔母さんは昔から見た目が若くて、顔が小さくて、キラキラしているけれど、その分ぼくはどうしても安心して叔母さんと接することができない。叔母さんのこどもになっても、ぼくはきっと甘えることができない。
 早苗叔母さんは、一番奥の部屋に案内してくれる。ノックをする。
「恵未、片付け終わった?」
「あーん、まだ。待って」
 叔母さんがドアを開けると、Tシャツとジャージ姿の恵未が掃除機をかけている。掃除機を切る。叔母さんが言う。
「狭くてごめんね。お勉強には、恵未と同じ部屋を使ってね。夜は、恵未は叔母さんの部屋で寝るから……」
 ぼくは恵未にお辞儀をする。恵未も恥ずかしそうに、ぴょこんと頭を下げる。去年、会ったときよりも、ずっと背が伸びて、女の子らしくなった。天真爛漫に、こんちは!、と挨拶されることを期待していたのに、恵未はもじもじしたまま叔母さんをみていて、ぼくと目をあわせない。
「ちょっと早いけど、夕食に行きましょうか。恵未、着替えなさい」
 叔母さんが言う。ぼくは荷物を置いて、恵未が着替えるのを待つ。叔母さんのマンションは広いけれど、部屋数はすくなくて、玄関のある廊下にバス、トイレ、キッチンがあって、南側にリビングと叔母さんの寝室、北側に恵未の部屋がある。叔母さんの寝室は十畳の和室で、とても広い。毎年泊まりに来ると、いつも叔母さんの部屋で、お父さんと布団を並べて寝ていた。そのお父さんはいない。川に流されて、失踪扱いになった。すくなくとも一年間は生きているとして扱われるから、ぼくは叔母さんのこどもにはなれない。
 恵未が着替えて、部屋からでてくる。ロング丈のシャツの胸にアンクのアクセサリをぶらさげて、黒いキュロットスカートから細長い脚がすらりと伸びる。みとれる。目をそらす。ドキドキする。
 ぼくたちは叔母さんの車で夕食を食べに行く。恵未は助手席に座る。ぼくは後部座席に座る。助手席に座ると、前の車にぶつかったり、壁や柱に激突するイメージがひろがって、心拍があがる。将来、運転免許が取れないかもしれない。車が走り出して、マンションの駐車場出口で停車する。叔母さんが窓をあけて、会釈するおじいさんに挨拶をする。おじいさんは、ぼくに向かって挨拶するから、ぼくも窓を開ける。
「どうもこんにちは、櫻井さんの坊ちゃん」
「こんにちは」
「町会の会長をやっております、片山です。坊ちゃんはこのたび、大変な目に遭われたとかで」
「ええ、まぁ」
「なにかお困りのことがあれば、遠慮無う言うてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
 車が走り出す。片山会長が遠ざかる。みえなくなるまで、こちらをみている。
 蛍ヶ浦ニュータウンは土地の値段が高騰した八十年代後半に作られたベッドタウンで、微妙に古いデザインの色あせた住宅が多くて、駅周辺にはシャッターの降りた商店街がひろがる。狭い道を抜けると、急にだだっ広い空き地がつらなり、建設途中になっている高速道路の橋桁がなにもない荒れ地に勃然と並ぶ。川の向こうを併走する年代物のバスが、土煙をあげて辺鄙なバス停にとまる。川沿いに並ぶ電柱に貸し金の捨て看板が貼られているけど、早苗叔母さんは制限速度を超えて走るから、なんて書いてあるか読めない。

 蛍ヶ浦中学校は、一学年三組しかなくて、ぼくは人数のすくない三組だった。
「櫻井智之です。よろしくお願いします」
 ぼくは教壇の隣に立って、初めて会うクラスメートたちに挨拶をする。緊張する。前の中学は学ランだったのに、ブレザーに替わってネクタイが苦しい。
 担任の柴田先生が、あいている席を指さす。ぼくは窓際の席に座って、真新しい鞄から真新しい教科書を出す。一元目は現国だけど、教科書が見あたらない。もらっていない。隣の席の女の子が話しかける。
「櫻井くん、現国の教科書は、ないんだよ」
「そうなの?」
「乱丁があって、全部回収されたの」
「そっか」
「あたし、百瀬夏美。よろしくね」
 聞き覚えのある声だった。顔をあげると、浮世離れした少女がぼくを見つめている。モモセナツミ、きいたことがない名前だけど、表情の綺麗な少女。どこかで見た覚えがあるけれど、おもいだせない。上目遣いの瞳に魅入られて、ぼくは二の句が継げずに、あ、とか、うん、とか、つぶやいていると、現国の先生が教室にはいってくる。
 授業の進みは前の中学より遅くて、ぼくは少し退屈してしまう。休み時間になると、前の席に座る小原崇が話しかけてくる。根掘り葉掘り、ぼくのことを訊く。どこ中だったの? 父親死んだの? シッソーって何? 櫻井さんって元女優だよね? 従姉妹ってかわいい? 彼女とかいんの? あ、ちょっと待って。
「叔母さん、元女中?」とぼくはききかえす。
「女優だよ。舞台女優。え、叔母さんでしょ? なんで知らないの?」
「初めてきいたよ。早苗叔母さん、じぶんのこと、ぜんぜん話してくれないもん」
「つーかさ、美人だよな。いくつだっけ、二十代後半?」
「確か、三十ちょうどだとおもうよ。お父さんの四つ下だから……」
「まーじで? みえねー。年取らない病じゃん、堀ちえみじゃん」
「だれそれ…」
「叔母さん、いま何してんの?」
「夜になると、どこかのお店で、クラブかなんかに働きにいくよ」
「お水やってんの?」
「うん、たぶん……」
「バツイチなの?」
「ううん、結婚はしていないみたい」
「じゃあ、お前の従姉妹は誰の子なのよ」
「ああ、私生児なんだって」
「シセイジン? そっかー、大変だな」
 崇はそうやって休み時間いっぱい矢継ぎ早に言葉を並べる。台詞の雰囲気だけで話をしていて、あまりにもいい加減だけど、突っ込むいとまを与えてくれない。
 お昼は周りの子に囲まれて、お弁当を食べる。いろいろ質問されるけど、ぼくの代わりに崇が答える。崇はちゃんと理解していないから、きっとぼくは誤解される。夏美はつぐみという子と仲良しで、崇は達也と仲がいい。
 放課後、ぼくは崇にカラオケに誘われる。夏美とつぐみも一緒についてくる。四人でコンテナ型のカラオケボックスに行く。順番に歌う。ぼくはAIRの古い曲を歌う。つぐみに声がエロいと言われる。夏美に女声みたいと言われる。崇はアニソンを順に歌う。崇はひどい音痴だけど、とても気持ちよさそうに歌うから、聴いてて可笑しくなる。
 カラオケを出て、崇とお手洗いにいく。並んで用を足していると、崇が無遠慮にのぞき込む。
「デケっ」
「ちょっと、みないでよ」
「お前超巨根じゃん、えーそれ普段どうしてンの?」
「普段って?」
「なに、上向き、下向き?」
「横向きだよ。水着のときは下向き……」
「トモ、セックスしたことある?」
「ううん」
「じゃあさ、つぐみとなっちゃんなら、どっちがいい?」
「えーわかんない」
 手を洗ってお手洗いを出る。つぐみと夏美が、カラオケ店の受付の前で、高校の制服を着た男の子と何か喋っている。ぼくは走り寄って、だれ? 友達? と訊く。
「なんだテメエ」
 高校生のひとりが振り返って、ぼくを見下ろす。もうひとりは、つぐみと夏美をナンパしている最中だ。
 ちょっとだけ、俺らそこのブースだからさ、ちょっとだけでいいんだよ、飲み物も食べ物も奢りだよ、ほら、俺ら二人だけじゃ盛り上がりに欠けるからさ、いやまだ七時前だよ、なんならオールしちゃえばいいじゃんねえねえ。
 なにしてんだコラ。
 崇が声をかける。高校生二人が振り向く。ナンパしていた高校生が舌打ちしてきびすを返す。ぼくをみおろしていた高校生が地面に唾を吐いて立ち去る。つぐみと夏美が手を取り合って、怖かったよお、と両足をぱたぱた踏みならす。
「俺、つぐみを送っていくから、トモはなっちゃん送ってあげて」
 崇はそう言って、つぐみと一緒に門を出る。手を振る。二人は駅の方へ。ぼくは夏美と一緒に蛍ヶ浦へ。商店街を過ぎると、道が暗くて不安になる。夏美がぼくをのぞき込む。
「崇くんってさ、格闘技やってるんだよね」
「そうなの? 空手?」
「ううん、なんだっけ、ソーゴーなんとか。めっちゃくちゃ強いって」
「ごめんね、ぼくなにもできなくて」
「ううん、トモくんはいいの。かわいいから」
「かわいい?」
「うん、女の子みたい」
 電柱から斜めに伸びる白い街頭が、川沿いの公民館の壁を青く照らす。日が長い時期なのにスッカリ暗くて、湿った風が吹き抜ける。雨のにおいがする。
「夏美ちゃんって、どこに住んでるの?」
「南が丘だよ。トモくんは?」
「ぼくは東台だから、近いね」
「つぐみは崇くんとおなじマンションに住んでるんだって。崇くんって、つぐみのこと好きなのかな?」
「仲良しなの? あの二人」
「うん、崇くんがよく遊びにさそってくれるよ。でも、つぐみは違う人とつきあってるの。どんなひとだとおもう?」
「だれ?」
「芝山さんっていう、駅前交番にいる警察官だよ。チョーかっこいいの」
「ふうーん」
「つぐみ、どこまでしたのかなあ?」
「どこまでって?」
「キスとか、その先とか…」
「その先って?」
「ふふ…、なんでしょー」
 そう言って、夏美は走っていく。ぼくはその後を追いかける。追いつく。転びそうになった夏美を支える。夏美はぼくの腕をつかまえて、上目遣い。ほほえむ。エッチなこと考えてる、とささやく。
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