R18恋愛官能小説 青山倉庫

人形地獄

第31話「忘れ形見」


 横浜港から伊澤宗覚の車で十五分、横浜厚生病院は周囲をケヤキの林に包まれている。
「優香理さん、お加減はよろしいのですか?」
 病院のベッドに起き上がった優香理さんに、遥香が訊く。優香理さんは遥香の頭を撫でる。
「もう、随分よくなりましたよ。優那と遥香が雅之のお見舞いについてきてくれるときいていたから、淋しくありませんでした」
 ぼくは優香理さんの微笑みをみて、照れてしまって、椅子の上でちいさくなる。夏休み中なのに、久しぶりに着た洋服はサイズのあわないちいさな短パンと綿のシャツで、それだけでも暑くて汗が噴きだす。
 病室の窓から、長い雨が去ったあと、青々と茂るケヤキの濃緑がキラキラと夏の光をはなち、蝉がニイニイ鳴いていて、涼しい風以外のあらゆる夏が吹きこんでくる。病室の窓際に置かれた川崎の扇風機がぐるぐると首を縦横にふりまわし、優香理さんは白い浴衣の襟をはだけて、汗に濡れた白い鎖骨の曲線を指でなぞる。
 優香理さんはあの豪雨の日、腹膜炎の手術をするために嵐のなか、ここ神奈川の病院へ運ばれたときいた。島の診療所には医者がいても、手術できるほどの設備がないそうだ。ぼくたちはしばらく優香理さんに会うことができなくて、心配していた。
「雅之、暑いのね?」
 優香理さんがきく。ぼくは首を横に振る。
「平気です」
「いつも裸だものね、今日は無理をさせてごめんなさいね」
 ぼくは夏休み中、あのホオルから出ることなく、朝も昼も夜もなく交わいをつづけていたのだから、服を着るのは久しぶりだ。蘭聖島へ移り住んで十年、ぼくにとって性交は日常となり、そうでない時間がむしろとくべつになった。暑さだけでなく、ぼくは行為への禁断症状から汗を滲ませる。夏休みは普段以上に激しいのだから。
「都築さんから、お話があると訊きました」
「ええ、お兄様はまだ上で晃さんと話してらっしゃるから、すこし待っててね」
「このあいだ、晃さんが、大きな鉄砲を持っているのを見かけました」
「あら…、あんな小さな島で狩りでもされるのかしら」
「九十九式狙撃銃でした。狩猟用ではないようです」
「まぁ…」
 ぼくたちのしらないところで、また不幸なことが起きているのではないかと、施条銃を抱えた晃さんを見ておもった。優香理さんは紫陽花の描かれた扇子を開いて、首もとを仰ぐ。その綺麗なうなじをみていると、もう晃さんのことなどどうでもよくなってしまう。
「少女たちの中に、美月という娘がいるのですが…」
 ぼくは話題を変える。
「あの娘は、ぼくのからだを愛しているといいました」
「からだを?」
「こころが通じ合うなど、幻想だとも」
 優香理さんは黙ってぼくをみている。ぼくは窓の外に視線を移す。
「心配なのです。ひとの造形だけに恋をするなど…、ぼくよりも美しい男子が現れれば、ぼくは、用済みになるのでしょうか。もしそうだとしても、ぼくはそれを業だとおもって受け入れることはできます。だけれど、ぼくには娘たちとの想い出になにか、視ることも触れることもできない糸で結ばれるなにかが欲しいのです。快楽はひとを幸福にしてくれるのですが、そればかりを糧に生きることはできないと、気づいたのです。もうこのままなのであれば、ぼくはむしろあの美しい娘たちと知りあうことなく、優那と遥香と三人でささやかに暮らせればヨカッタなどと夢見ることがあります。それが贅沢にすぎることはわかっているのですが…、茫洋な不安から逃れられません。それに、ぼくにはひとつだけ、わからないことがあるのです」
「なんですの?」
「どうして、ぼくなのですか? 人形たちを作るのに、どうしてぼくが選ばれたのです」
 優那と遥香がお互いひそひそと囁き合う。優香理さんは微笑んで、ぼくに手を伸ばす。手を取る。柔らかい指先がぼくのてのひらを滑り、ぼくはくすぐったくて手をとじる。
「それは、あなたが美しくて、健康で、性的に卓越していたからよ」
「性的に?」
「人魚の血に、精力を増大する力はないの。はじめから、大勢を相手にできる子でなければならないそうよ」
「そんなの…。他にもそんなひとはいなかったのですか?」
「いるわけないわ、あなたは特別だったから」
「とくべつって、どんなふうにですか?」
 優香理さんは優那と遥香をみつめて、すこし逡巡して、こたえる。
「雅之、はじめて二人を抱いたときのことを、おぼえている?」
 ぼくはすこし思い出しながら、首を横に振る。ほんとうに覚えていない。物心つくまえから、優那と遥香という名前を識る前から、ぼくは二人を交互に抱いていた。でもそれはたくさんの想い出に紛れた錯覚かも知れない。
「あなたは産まれる前から、二人と性交していたのよ」
「エエッ?」
「いつからかはしらないわ。ただ、産まれたとき二人はすでに処女ではなく、雅之は遥香とつながって産まれたのよ。優那の胎内と、羊水のなかに、たくさんの精液が溶けていたって、お医者様が言っていたわ。あなたには異母兄弟の兄もいたけれど、実次お兄様はあなたをお選びになったの」
「まるで、ぼくはそのために、産まれてきたかのようですね」
「つらいの?」
「いいえ、ただ、ぼくはなにか怖ろしい実験で産まれたような気がして…」
 不意に病室の扉がひらき、仮面をつけた実次がステッキをつき、はいってくる。脚が悪いわけでもないのに、実次は尊敬している画家のお爺さんがなくなってから、その方のステッキを譲り受けて、愛用している。こんなに暑い日なのに、いつものように薄いコオトを羽織り、その表情も仮面と同じように冷たい。
「こんにちは」
 優那と遥香が立ち上がって、朱美に習った英国式のお辞儀をする。実次は入り口に突っ立ったまま、虚ろな目でぼくたちを眺める。風が吹き込んで、しろいカアテンがふわりとなびく。
「優香理、わたしは人形師として、東京へ向かいます」
 実次はそう云って、懐から小さな鍵を取り出す。ぼくに渡す。
「お兄様は写真家ではありませんか。都築家は人形師の家柄ですけど、どうして今になって急に? 人形など、お作りになったことなどないのに…。もしかして、この子たちを」
「いや、この子たちは関係ありません。わたしは精巧な人体標本を作るための顧問として、舞洲に呼ばれるのです」
「舞洲に? いけないわお兄様、浅井様に誘われたの? この子たちには、お兄様が必要ですし、おひとりでは…」
「心配ないですよ、晃も一緒にいきますから」
「まぁ、晃さまも? 島におとこのかたが、いなくなってしまうわ」
「伊澤さんがいますよ。彼は普段、北側か、こちらへ戻っていますから、あまり見かけないかも知れませんが、彼も一応は南側に出入りできる人間のひとりなのです」
 優香理さんは溜息をつく。実次はコオトを脱いで腕にかける。フランネルの背広を着ていて、とても暑そうなのに、実次はほとんど汗をかかない。
「それに、浅井さんとは話がついたのです。あれは終わったのです」
「えっ、それじゃあ…」
「シュウバイです。島へ戻ったら、そうですね…、音禰と伶俐に伝えるとよいでしょう。あの二人から、娘たちにしらせるのです」
 優香理さんは両手を口にあてて目を潤ませる。実次はぼくのてのひらに乗ったちいさな真鍮の鍵を指さす。
「それは書斎の鍵です。わたしはしばらく戻れませんから、預かっておいて下さい」
「都築さん、ぼくは…」
「雅之くん、私が戻るまで優香理をよろしく」
 そう言い残して、実次は病室を後にする。優香理さんは泣いている。ぼくにはふたりのやりとりの意味がわからなくて、古ぼけた真鍮の鍵をつまんでみつめる。プロペラ機の羽音が病院上空を通過する。優那と遥香が窓際に駆け寄って、そのプロペラ機を仰ぎみる。ぼくは優香理さんに訊く。
 どうして、ないているのですか?
 優香理さんはこたえる。
 うれしいのです、あんしんしたのです。

 ぼくたちは病院を後にして、伊澤さんの車で南京町を訪れる。
 百件以上の飲食店が軒を連ね、通りを歩きながら伊澤さんがいろいろなお店を紹介してくれる。
「あの通りから先にある店は、最近できたお店ばかりです。こちら側は戦前からあるお店ばかりですから、ま、店の外観は古いですけれど、お料理の味は保証できます」
 ぼくはその話をききながら、優那と遥香と三人で手をつないで、かき氷の幟を眺める。優那は、喉がかわいたわ、とぼくに云う。ぼくはそうだね、とこたえる。遥香はわたしも喉が渇いたわと云う。伊澤さんがぼくたちにラムネを買ってくれる。強い炭酸の液体の中に、透明のちいさなビイ玉がはいっている。ぼくはそれがなんのためにはいっているか識らない。
 ぼくたちは中華街の外れにある小料理屋にはいる。伊澤さんが名前を告げると、和装の女給が奥の座敷へ案内してくれる。女給は奇異の眼差しでぼくをじろじろみる。汗の染みたシャツが短パンから飛び出した性器に張りついて、色も形もくっきり浮き出ている。洋服を夏場に着ると、必ずこういう恥辱をかんじる。でも、もうぼくはそういう視線に慣れなければいけない。ぼくは女給に微笑みかえす。給仕は慌てて目を伏せ、伊澤さんに耳打ちする。伊澤さんはぼくに云う。
「雅之くん、これからある娘を連れてきます。その娘は、自ら島へ渡りたがっているのですが、これからは、雅之くんの気に入る子だけを選んで島へ連れ帰ることができます。この店は都築家がオウナアで、実次と鈴木君もよく二人で来ているから、安心して構いません。私は車で待っています。話がついたら、娘の手をひくなり、あるいはここへ置いていくなりして、店を出てください」
 ぼくは首を傾げて、よくわからないけれど、頷く。伊澤さんは席を立ち、女給とともに座敷を出て行く。襖がぴしりと閉まるおとが、広い座敷にこだまして、静かになる。障子の隙間から中庭がみえて、岩の間を流れる水の音が冷たく響く。ぼくが壁と境目のない天井をみあげていると、優那が寄り添う。
「ねえ雅之、優香理さんはきょう退院できるの?」
 優那はぼくの太股に手を置いて訊く。遥香もぼくをみて首をかしげる。
「夕方には退院できるみたいだよ、それまで、ぶらぶらお散歩してなさいって…」
「優香理さんは、もう動いても大丈夫なのかしら?」
「大丈夫だとおもうけど…、どうして?」
「優香理さんに、愛してもらいたいのよ」
「あっ、そうゆう意味か。それは…、わからないや」
 遥香がぼくに寄り添って、小声で囁く。
「雅之が優香理さんを慕うきもちがわかるわ。だって、とても上手なんですもの…」
「そうなの?」
「ゆびをね、こうしておりまげて、わたしたちでは届かない恥骨の裏側をゆするの。わたしはヒクヒクがとまらなくなってしまって、優那なんて気をうしなったのよ。雅之も教わって、おなじようにしてみせて。雅之は指がながいから、きっとできるわ」
 襖がひらく。
 若い女給が、ぼくたちの識っている、懐かしいくらいよく識っている赤毛の少女を連れて座敷へ入る。黄色い小袖を着た少女は、畳に指を揃えて、お辞儀をする。
「雅之さま、優那さま、遥香さま、、お久しぶりでございます。那須野雅美です、覚えておいでですか?」
「雅美だったのですか、島へ渡りたいという娘は。でも一体…」
 女給が首を垂れて、ぼくに手拭いの束を差し出す。そっと座敷を出て行く。雅美は目を伏せ、唇を噛む。云う。
「お父さまが、他界したのです。わたくしには、もう、どこにも、いくところが…」
 そう云って、肩を震わせて嗚咽する。畳に涙がぽたりと滴り、優那が手を差し伸べる。
「雅美さん、心配なさらないで。わたしたちと一緒に暮らしましょう」
「ありがとうございます。だけど、伊澤様は、雅之さまのお許しが要ると仰いました」
「雅之が厭と云うわけがありませんわ。そうでしょう? 雅之…」
 優那が促すと、ぼくは悪戯心が湧き起こって、サア…どうしよう、と天井を仰ぐ。雅美は畳の上を這って、ぼくの前で膝を揃え、ぼくのシャツの釦を下から外す。初めて会ったときから変わらない、しろい指先がぼくに絡みついてシャツの中から引きずり出し、幼い唇がつるりとぼくを根元までのみこんでしまう。あれから十年が経っているせいか、雅美は初めてのときのようにぎこちなく、頬を真っ赤にして、頭を上下に揺り動かす。やがて拍子が合いはじめ、ちゅっかちゅっかと音を立てはじめる。
「まさゆき、雅美さんは…」
 なにかをいいかけた遥香の唇を奪い、舌を絡めながら云う。こんなに美しくて、いじらしい娘を、拒む理由など、ありませんよ、ぼくは雅美を連れ帰った後、どんなふうに愛し合うか、思案していたのです。
 優那が雅美の帯を解く。朱く縁取られたながい西陣織の帯がするするとほどけ、ぼくは雅美を肩を抱き起こし、唇をかさねつつ、襦袢の帯を解く。はだけた衿から腕をさしいれ、雅美の細い腰に巻きつける。引き寄せる。膝のうえにのせて、だきしめて、仰向けに寝転ぶ。雅美のやわらかいお腹がぼくの濡れた巨根を圧迫し、あのときから変わらない薄い乳房がぼくの胸に密着する。
「まさゆき様、雅美はあなたのお陰で、お父様と仕合わせなひとときを過ごすことができました。でも、雅美は片時も、あなたのことを忘れることができず、かといって他のおとこの方に靡くこともできず、心のどこかで、この日がくるのを夢見ていたのです」
 そう囁いて、雅美は腰を浮かし、ぼくをつるりと胎内に沈めてしまう。
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