R18恋愛官能小説 青山倉庫

人形地獄

第29話「人質」


 目を開けると真っ白な天井しかみえない。
 そんな状態で、朝になり、昼になり、夜になってウトウトしていると、幼い少女が夢に現れなにかを囁き、また朝になるのを二度繰り返してようやく躰が動くようになってきた。
 わたしは最初に右腕を布団から出して、掛け布団をまくる。痺れた左腕をつかんで、お腹のうえにのせる。じんじん痛む。躰を横にして起き上がろうとするけど、ちからが入らない。そこを看護婦にみつかり、人を呼ばれてしまった。不覚。ここは病院、わたしはだれでしたっけ?
「目覚めましたね…。加減はどうですか?」
 部屋にはいってきた細身の男性は医者ではなく、暑い中くろいフロックコオトを羽織って椅子に腰掛ける。その顔半分を覆うように、銀色に輝く仮面を嵌めている。米国の映画にこういう男が登場したことを覚えている。その仮面のしたは、きっと醜いにちがいない。
「お名前を覚えておいでですか?」
「門倉真弓といいます」
「お仕事は?」
「雑誌の記者をやっています」
「どこから這入ったのですか?」
「火の見櫓から下水を通って…」
「蘭聖島にはお仕事で?」
「ええ」
「なんのお仕事?」
「フィルムの秘密を探りに」
「ほう、フィルム…。それはどのような?」
「大勢のこどもたちが、はだかで乱交に耽る映像…。音はきこえないのですが、ひとりの少年を、数百人の少女たちが、その、奪い合っておりまして…」
「ハハァ、そのようなものを一体どこで?」
「新聞社の資料室にマスタが一本」
 わたしはぼんやりした頭に鐘が凛々騒々しく、仮面の男のことばを理解して返答するのでやっと。どうして正直に話しているのかわからない、わからないの、こわい、こわい、恥ずかしい。
 わたしは顔を背けて、躰を窓側へ向ける。
「ごめんなさい、頭が痛いのです」
「門倉さん、観て頂きたいものがあります」
「あとにしてください」
「いま、観て頂きたいのです。これは、あなたが追っている秘密に関わる、とても大切なことなのです。私が肩を貸しますから、どうか、ほんのひととき、お時間を頂けませんか?」
「わかりました…」
 無碍に断れば、仮面の男の懇願がずっと続いて、男の声が頭のなかでどんどんおおきくなって頭痛がひどくなりそう。男の手助けによって貧弱なパイプの寝台におきあがり、ゆっくり片足ずつ木の床に降りたつ。わたしより頭一つ背の高い男の肩にしがみつき、覚束ない足取りであるく。廊下に出る。
 ずるずる滑る下水の床をおもいだす。そのあとのことをおもいだせない。猟奇雑誌の裏とりしない取材活動で、タッタひとつの真実をみつけたあの日、嘘と脚色で塗り固めた創作レポオト数頁よりも事実は遙かに奇であった。ああ、一ノ瀬先生はどうなったの、どこへいったの。わたしの野心の巻き添えになったかわいそうな先生は海へ落ちてしんでしまったの。
「ここです…」
 仮面の男がそう云って扉を指さす。この男は写真家として文化人の賞賛を独り占めする人形師、都築実次。どうしてこの男がわたしに肩を貸しているのか、ついさっきのやりとりがおもいだせない。
 都築実次が扉をひらく。部屋に入って電気をつける。
「アアアー…」
 部屋は鉄格子で区切られて、檻の中には赤茶けた布と包帯につつまれたおぞましい芋虫が捕らわれていた。
 据えつけの汚れた寝台には緑色の液体が溜まっていて、その巨大な芋虫の首には革のベルトが食い込み、壁の鎖につながれて、うごける範囲内を這いずりまわる。いぼいぼに覆われた頭部のいぼいぼの隙間からちいさな目が覗き、わたしをみつけると猛然と殺到して、鉄柵に体当たりする。すえた匂いをまき散らして、赤子の泣き声のような悲鳴をあげ、その絶叫にわたしは鳥肌がたち、壁際まで後退って尻餅をつく。
「一ノ瀬せんせ…?」
「ウァアアアー…」
 芋虫は呻いて、醜い顔を逸らす。部屋の隅へ這って逃げる。わたしは都築実次をみあげる。実次はわたしをみおろして、肩を竦める。冷たい仮面のしたで何をおもっているのかわからない。
「一命は取り留めたのですが、有毒な廃液を浴びたのです。両腕と、両脚とも、喪ってしまいました」
「先生…」
「まだ体中が浮腫に覆われています。あと数週間もすれば、元通り喋れるようにはなると、おもいます」
「ひどい、ひどいわ! こんな!」
 わたしは両手で顔を覆って、嗚咽を漏らすけれど、一滴も涙がでない。どうしてこうなったのか、だれのせいなのか、わからない。ただ、この島へ来たことが間違いの始まりだった。こんな島なくなってしまえばいいのに。
「だれの責任でもありません。不運だったのです。さあ、病室へ戻りましょう」
「触らないで! わたしをどうするの?」
 実次が伸ばした手を振り払い、睨みつける。
「どうもしません」
「さっき仰ったわ。わたしの追う謎と関わりがあるって。どう関係があるの。先生が芋虫になってしまったことと、どうつながるの」
「記者なのに、門倉さんは何も調べずに来たのですか…。呆れましたね」
 実次がわたしを抱き起こす。わたしは糸の切れた人形みたいにくにゃりと腰を折って、実次に抱えられるように部屋を出る。冷たい廊下を歩く。病室に戻る。ベッドに寝かされる。
 実次は無言で病室を出て、カシャンと鍵をかける音が白い部屋に響く。

 その冷たい扉が次に開いたのは、夜半過ぎだった。
 点滴材をもった看護婦と、藍色の小袖に朱い袴の若いおんな。看護婦は鋏で点滴材の口を切って、点滴を交換する。小袖のおんながわたしに声をかける。
「門倉さま、こんばんは」
「どなた?」
「都築の妹、優香理と申します。門倉さまのために、お住まいとお仕事のお話をしに参りました」
「わたしには、住む家も、仕事もあります」
「いいえ、門倉さま。蘭聖島の南を訪れた貴女に、もう東京の土を踏む機会はありませんわ」
「何を云っているの? わたしは出て行くわこんなところ。止める権利などないでしょう」
 わたしは起き上がり、腕につながれた点滴の針を引き抜く。
「おやめください門倉さま、まだ動いてはいけませんわ」
 わたしの肩を掴む都築の妹をつきとばし、寝台をとび降りる。狼狽える看護婦の手に握られた大きな裁縫鋏を掴む。もみあいになる。点滴棒が折れる。脇机から缶詰が落ちる。吸いのみが転がる。看護婦がドアから逃げだそうと腰をひく。わたしは鋏を掴んだままドアノブを強くひく。看護婦の腕が挟まれ、鋏を放し、廊下に転倒する。
 都築の妹の帯を掴んで立ち上がらせて、鋏を突きつける。
「港へ案内して、わたしは今すぐ島から出るわ」
「すぐ見つかってしまいますわ」
「見つからない道があるはずよ。防衛島にはいくつもの抜け道が、あるはずよ」
 都築の妹を掴んだまま、病室を出る。廊下で痛みにうずくまって震える看護婦を跨ぐ。幸い、すぐ脇が非常口だった。中から錠をあけて外へでる。
 土砂降りの雨。石段をひとつ下ると小道が川のようになって流れ、脚を取られそうになるのを踏ん張り、都築の妹は袴の裾を掴んで引き上げる。大きな雨粒が満遍なくたたきつけ、わたしが発した声もザアザアにかき消され、周囲はまるっきり暗室のよう。目も耳も奪われたわたしは、あの下水で廃液を頭から被ったときのように、声も出せずに口ばかり大きく開けて必死で呼吸する。そして都築の妹を責める。
「さっさと歩くのよ!」
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