R18恋愛官能小説 青山倉庫

人形地獄

第25話「都合の良い真実」


「搾取される者は北に住み、搾取する者は南に住む。そして南北を分け隔つあの伽藍には魔物が棲んでいる」
 浅井耕助はレストランの窓の前に立ち、南の巨大な円蓋の建物をみつめ、そう呟く。
 わたしは二杯目のワインを頂き、一ノ瀬先生は煙草に火を点け、隣のテエブルを片付ける給仕に、いま何時ですかとお尋ねになる。給仕はもうすぐ六時でございますと答える。
「私は南の住人と取引にきたのです、一ノ瀬先生。そのことが訊きたいのですか?」
 浅井が言う。一ノ瀬先生はこめかみをおさえて、呟く。
「南の住人とは、つまり都築家のことですか?」
「ええ、そうです」
「差し支えない限りで、その取引について、教えて頂けますか?」
「いいですよ」
 浅井はテエブルについて、一ノ瀬先生が差し出したシガレットケエスから煙草を一本取る。
「私の会社は、防疫給水部の支援をうけて、ある実験を行っているのです。その実験には、莫大な資金と、人材と、時間がかかる。私の生きている間に、その成果をみることはないだろうと諦めていました。しかし戦争に負け、国は大きな負債を抱え、頼みの軍も今はなく、基礎研究にのんびり五十年も費やしていられなくなった」
 煙草に火を点ける。立ち上る煙の帯を眺めて、わたしは欠伸をかみ殺す。
「都築家は代々、ある秘密の事業を受け継いできた、とても古い家柄です。その事業の副産物には金がかかる。そこで我々が都築家へ投資する代わり、我々は事業の一部を公開して貰う。今回、私がこの島へ来たのは、その支援案をとりまとめるためです」
「その事業とは?」
「しりませんよ私は。しっていたら、秘密でもなんでもないではありませんか」
「尤もです」
「少なくとも、その事業の一部は、我々の実験と研究を十年、いや、五十年以上も飛び級させてくれる画期的なものなのですよ」
 給仕が珈琲を運んでくる。先生と浅井の前に置く。ワインを飲むのは私だけ。先生と浅井はわたしに声をかけず、わたしはまるで存在していないかのよう、ワイン飲み人形のよう、酔っぱらってやる。
 浅井耕助はどこかの企業の役員で、一ノ瀬先生と面識があった。偶然、レストランの入り口で出会い、先生は取材を申し出た。それ以上のことは識らない。浅井耕助は色の黒い中年の男で、役人が着るようなダブルの背広を着て、白いシャツのまぶしさがいやらしい。
「あの、南に入るには、都築家の許可が必要なのでしょうか?」
 私は浅井の目的に興味は無い。
「ハハァ、あなたは南に潜り込みたいのですね。さては、新聞記者ですか?」
「似たようなものです」
「確かに、許可が必要です。だが、都築家と所縁のない一般人が許可を得ることなどできません。一見、無防備にみえるあの伽藍は通過できない。あれは対空砲の施設でして、小さな扉は爆風に耐える頑強なものだ。だけど、ひとつだけ、危険な抜け道がひとつ…」
「教えて下さい」
「地下です。島の地下には、防空施設の名残として、塹壕をつなぐ坑道が残されている。今は下水が流れているのですが…」
 浅井は立ち上がって、窓の傍まで歩く。外を指さす。私も腰を浮かして、浅井が指さす先を見つめる。役場と料亭の間に、古い火の見櫓が建つ。
「あの櫓の根元には、封鎖された地下への扉が残っています。そこから入れるのかどうかわかりませんが、入り口らしきものは、そこだけですね…」
 一ノ瀬先生が私を睨む。溜息をついて、云う。
「どうして、そのようなことを、教えてくれるのですかね」
「私には興味ありませんからね。島の南でなにか大衆の義憤を煽るようなものがみつかって、新聞で公表されたところで、我々は取引を済ませた頃合いですから…」
 わたしは座ったまま、浅井がみている先を眺める。夕陽にあかく染まった空と海をみつめて、わたしが何を求めているのか、春という季節の不確かな天気のように右往左往して、出たとこ勝負というギャンブル商売。何度も厭になったけれど、辞めて田舎に帰っても誰とも会わす顔などなくて。大衆の義憤?あるいは興奮。そんなもの求めていない。真実、という詞は羽毛のように軽くて自由なのだ。掴んだとおもったら、指先をすり抜けて、ふわり、ふわりと風に流されてしまう。
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