R18恋愛官能小説 青山倉庫

人形地獄

第23話「流出フィルム」


 波止場についた漁船から島へ降り立ち、わたしがおおきく深呼吸すると、背後にふっと先生の気配をかんじて、その場でくるりと振り返る。
「先生、磯の香りがしますわ」
「フン、海藻の腐った臭いさ。しかしこの島は、寒いな。真弓、とりあえずあそこへ行こう」
 そう仰って、先生は波止場にある小さな茶屋を指さす。わたしは微笑んで、先生の先に立って歩き出すと、松の木が並ぶ高台を、子猫が二匹、走り回っているのがみえる。その向こうに新築のホテルと、別荘が建ち並ぶ丘と、小さな風車のついた島の役場。わたしたちの脇を、二重廻しを着た男性と、そのこどもらしき二人の姉妹が通り抜ける。
 あの二人はひょっとして…。
 わたしたちがこの島へきたほんとうの目的を不意におもいだして、身震いする。
 わたしたちは茶屋の隅っこに腰掛けて、お茶菓子を貰う。日焼けしたおんなのひとが、わたしたちの向かいに座って、赤ん坊に乳をあげている。
「一ノ瀬先生、ほんとうにこの島で、間違いないのでしょうか?」
 わたしは先生の顔色をうかがう。
「ああ、間違いないだろう。かつて防疫給水部の実験施設があったことは確かだ。まず、俺たちは旅行者を装わないといけないのだが、真弓、その格好はなんだ」
 先生はわたしのヒラヒラした白いワンピイスを咎める。黄色い旅行鞄に、ショオルを頭にぐるりと巻いた出で立ち。
「海風がつよくて、耳が寒いんですもの」
「映画女優気取りか」
「先生こそ、旅行者には見えませんわ」
「お前は目立ちすぎる。ホテルに入ったら、そこから俺はひとりで島を調べてまわる。お前は部屋でじっとしているか、近くの料亭にでも行って、食事と観光を楽しむといい」
「ひどいわ、先生。この話を掘りあてたのはわたしなのよ」
 先生は肩を竦める。梅柄の着物をきた娘が、お茶と和菓子を運ぶ。

 一ノ瀬亜門先生は、わたしの大学時代の恩師で、戦争で実家を喪ったわたしを助手として院から引き上げてくださったかた。民俗学が専門だった先生はいつ頃からか、秘密の御詠歌、人食いの里、津山三十人殺し、人魚の生き血、帝都の墓、そんな得体の知れない伝承ばかりを追うようになられて、ほとほと愛想の尽きたわたしは終戦後しばらくして、雑誌社へ入社した。男ばかりの社会でわたしは編集者としての仕事もロクに与えて貰えずにいたけれど、人手が足りなくなったことと、わたしが一ノ瀬先生の助手だった経歴も手伝って、猟奇系雑誌の編集を担当することになる。その不定期刊第五号の取材は、那須野雅美というとしをとらない少女の存在だった。
 赤毛の美しい少女がほんとうに不老なのかわからなかったけれど、十一歳にしては博識だったことで、もったいつけた記事が仕上がった。少女が不老だなんてまったく信じていなかったけれど、記事をみたひとから送られてきたフィルムに、思想も信条も吹き飛ぶほどの衝撃を受けた。
 大勢の美しい少女たちに囲まれて、ひとりの少年が乱交を繰り広げる映像。
 ひ孫のポジフィルムはひどく不鮮明だった。そのフィルムは新聞社から送られてきたものだったから、わたしは送付元の責任者に連絡をとって、内密にはなしをきくことができた。
 根津と名乗るその人物は黒縁の眼鏡をかけた初老の男性で、すくなくとも新聞社では現場の人間ではない。日焼けしていないくすんだ肌と、ペンなど握ったこともないような細い指先。
「おおくりしたテエプはいちど業界で流布されたものです。マスタはうちにあります」
 ぼそぼそと聞き取りにくい声で喋るひと。
「この映像は有名なのですか?」
「ええ、存在が明るみになると摘発される恐れがありますから、どこも倉庫の奥でひた隠しにしているとおもいます。我々の業界内では『人形をつかったギミック』ということで決着しています。なにぶん、映像がとても不鮮明で、フィルムサイズも異なるうえ、両端も切れてしまっていますから、正確な検証はできないのです。いまでは誰も触れたがりません」
「よくわからないのですが、どうしてわたしにそれを…?」
「マスタを観ていただければわかります。あの映像には続きがあるのです」
 わたしは新聞社が借りている地方の倉庫に眠る鮮明なマスタフィルムをみせて頂き、乱交映像の後に、病院のようなところで白衣の男性に質問を受ける那須野雅美が映っていることを知った。音のない映像では、その質問の内容は審らかでなく、ただ、すくなくともその映像はとても古いものにみえる。
 根津はわたしにフィルムの真偽について調べて欲しいと託した。近く倉庫が取りつぶされるとき、そのフィルムも闇に葬られる筈だったのだ。
 わたしは取材を続けるにあたって、強力な助っ人を必要としていた。雑誌社内には求むるまでもなく、わたしは大学に電話をかけた。
「一ノ瀬先生、みて頂きたいものがあるのです」
 先生は映像に大変な興味を示されていたけれど、すべてを見終わると急に醒めた態度で「これが俺の研究となんの関係がある」と問う。しかし、わたしがフィルムのラベルを見せると、先生は態度を改めた。
 昭和二十年三月、陸軍軍医学校二七八原本。
 先生が求めていらっしゃった人魚の血伝説には、いつも軍医学校原本の文字が躍っていた。
 先生はフィルムを何度も繰り返しご覧になり、少女たちのうしろに映る高台は端島に似ているけれど、これは蘭聖島だと仰った。そして先生は、わたしを山奥の施設にお連れになり、地下室に軟禁されていた畸形の少年に会わせてくださった。少年は高瀬義輝と名乗り、蘭聖島に妹を残してきたと語る。この醜い少年も、あの儚げな那須野雅美とおなじ人形なのだとは、俄に信じがたい。

 ホテルのバルコニイから見渡せるのは島の北側だけ。立派な別荘が建ち並び、整備された石畳の小道と生け垣、東側には針葉樹が並んで海風を遮る。大きな円蓋の天井をもつ建物の向こう、島の南側はみることができない。
 台帳にはわたしの名前、門倉真弓と書いた。先生はご自分の名前で記帳なさるのを厭がるかただから、お一人ではとても旅行などできない。やっぱり先生にはわたしがいないと、などと想っても、先生はわたしのことを便利な門倉とお呼びになるうえ、お前はまだ結婚しないのか、と会うたびに云われ続ければ、わたしの先生に対する僅かな想いさえ乾いてしまう。
「まずは役場に行って、いろいろ訊いてみる。この島は観光地ではないからな、闇雲にウロチョロして目を付けられでもしたらかなわん」
「先生、お腹がすきませんか? 何か食べてからでも…」
「腹が減ったらしたで何か食べるか、フロントに電話なさい。なにかもってきてくれる」
 そう仰って、フロックコオトを羽織ると、そのまま足音もなく部屋をでていってしまう。
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