R18恋愛官能小説 青山倉庫

人形地獄

第19話「強迫」


 北の宿泊所にはいったとき、陽はとっぷりと暮れ、雪はやんでいた。
 ぼくは年をとった女給に、実次の部屋に取り次いで貰う。女給は懐中電灯をつけて、暗い廊下を歩く。酷い雪で発電機が停まってしまったのだと云う。久留米絣を着た背の高い男性とすれ違う。ぼくは晃さんかとおもって顔をあげるけど、人違いだった。男性はぼくと目が合うと、にっこりと微笑んで会釈する。ぼくも女給のあとを歩きながらお辞儀する。島のひとたちは、みな一様にぼくたちに愛想が良い。
 女給がドアを叩く。声がする。女給がドアをあけて、ぼくは部屋に入る。部屋には、実次と那須野先生が、ランプを据えた丸テエブルを挟んで向かい合い、琥珀色のブランデエを酌み交わす。那須野先生は身を乗り出して、防寒着に包まれたぼくを出迎える。ランプの明りがグラスを照らして、綺麗な光をテエブルの木目に落とす。
「雅之くん、久しぶりだねえ。元気してましたか?」
「あ、はい、お陰様で…」
 ぼくは気勢をそがれてぺこりとお辞儀をする。実次は手に持ったグラスをテエブルに置いて、両手をひろげる。
「どうしたんですか、もう夜ですよ。誰か付き添っていますか?」
「はい、診療所に珠莉が…」
「ここまで独りで?」
「お話があるのです」
「急ぐお話ですか?」
「はい、でなければ、こんな雪の日に外になどでません」
「ふむ…、わかりました。伺いましょう」
 実次は空いている椅子を指し示す。ぼくは外套を脱いで、腰掛ける。ふかふかの絨毯に雪が落ちる。
「都築さん、優香理さんはどこへ行ったのですか?」
「またその質問ですか、やれやれ。前にも云ったでしょう。優香理は本土に戻すと…」
「ぼくたちのお屋敷は、陸軍に接収されたのではないですか? どこへ戻ったのです?」
 実次は頭をかく。那須野先生はぼくをみている。
 優香理さんがプウルから連れ去られたあの日以来、ぼくは幾度も実次に優香理さんの行方を尋ねていた。息災であればそれでいいと、口ではそんなことを云いながら、いなくなって初めて、優香理さんが恋しくなった。それは麗奈が転院して離ればなれになるのとは異なり、身を捩るほどの恋慕に等しかった。そして、そのような感情は、ぼくにとって初めてだったから、どうしていいかわからず、母親をうしなった幼子のように、その行方を阿呆のように繰り返し誰彼構わず訊いて回るのだ。
 ぼくは違うことを訊く。
「人形とは、なんなのですか」
 二人とも黙りこくる。壁の時計がカチコチ時を刻む。返事はない。
「ぼくは、あるひとから人形の秘密をききました。とても怖ろしい、おぞましいことだと初めてしりました。まるで人身売買のようです。ぼくは奴隷をつくるために、少女たちを抱いていたのですか」
 ぼくの声は震えて頼りない。実次がようやく口を開く。
「きみは何か思い違いをしていますね。誰がそのような風説を吹き込んだかしりませんが、ぼくたち都築家がつくっているのは奴隷なんかじゃありませんよ。自ずから、永遠を望んだ少女たちの、ささやかな願いを聞き届けるだけに過ぎません」
「人形になった娘は、慰み者になると…」
「それは違うよ」
 那須野先生がぼくの言葉を遮る。
「きみが抱いたわたしの娘は、誰かの慰み者になることなく、わたしの屋敷で仕合わせに暮らしている。ほんの僅かな仕合わせがある今を長らえる、とても素晴らしいことなのだよ」
「その仕合わせは、永遠に続くのですか?」
「確かにそれはそうとも云えないだろう。人形になった娘は、としをとらない。十年後も、子供のままだ。そのような境遇に果たして耐えられるのか、それはそのときになってみないとわからない。そしてそれは、きみも同じなのだよ」
「ぼくのことはいいんです。雅美さんは、お父様が立派でいらっしゃる。だけど、玲庵先生は、そうでもないようです」
 実次は肩を揺らして嗤う。
「ははぁ、さては三姉妹からきいたのですね。雅之くん、あの姉妹たちは、いずれにせよそういう境遇に陥ると定められていたのです。その身を不憫に感じた玲庵先生は、私に三姉妹をお預けになった。人形になれば、あの娘たちは何の苦痛もないばかりか、悦びに満ちた日々を送ることができるのです。どうですか、あの三姉妹は、今の境遇に苦痛を感じ、悲鳴をあげていましたか? きっとそうではないとおもいます」
 ぼくは首を横に振る。信じられない、信じられない、と譫言のように呟く。
「馬鹿にしないでください。娘たちは、ぼくのことを案じて、そう振る舞っているだけかもしれない。それに、これから先、もっと大勢のそういうおんなをつくることに、ぼくはつよい呵責を感じます」
「雅之くんは、おんなを抱きたくないのですか?」
「そうではありません。だけど、そうすべきではない、もう抱きません」
「それは無理です、抗うことなどできはしない。きみのからだは、おんなを抱くことで維持される。そうでなければ、瞬く間に萎びて枯れてしまうでしょう」
「それでも構いません。優香理さんにも会えないのです。ぼくはリルケのように、アッサリしんでしまいます…」
 ぼくはそう云って、優香理さんが頭を撫でてくれたことをおもいだし、涙ぐむ。実次は溜息をつく。那須野先生は腕組みをして、独り言のように云う。
「雅之くん、いいですか。この島には、都築家に奉公する三千人が暮らしている。彼らの暮らしを支えているのは、雅之くんの力によるものだ。彼らは無償で島を整備しているわけではない。その金はきみが稼いでいるのだよ」
「どういうことですか?」
「つまり、雅之くんが、ひとりの少女を抱くことで、島に奉公する三千人の生活がふた月維持できる。それだけ莫大な金が動くのだよ。きみの気まぐれで、きみの義務を果たさないと、三千人が路頭に迷う」
「そんな…」
「それでも構わないのだね?」
 今度はぼくが黙りこくる。うつむく。
「女中の朝倉麗奈さんは、都築家のお金で、東京の病院で子供を産み、それから島へ帰って育てることができる。それが無くなれば、朝倉さんも、朝倉さんの子供、つまりきみの子供も、この寒空のなか路地裏に追い出される羽目になるかもしれない。きみは、そんなことを望んでいるのかい?」
 ぼくは首を横に振る。
 遠くで定期船の汽笛がボウッと鳴る。ぼくは心拍が上がる。義輝を定期船に乗せたのは、正しいことだったのだろうか。急になにもかもが不安になる。
「どうして、このことをぼくに黙っていたのですか? おんなたちは、みんな…、優那と遥香でさえ、しっている様子です。しらないのは、ぼくだけではありませんか。ひどいです、都築さんは、狡いです」
「ハハハ、ぼくはきみのなかで、随分な悪者にされてしまったようだ。すまない、いずれは話すつもりでいたが、まだその時期ではないと考えていた。ほんとうに、すまない」
 そう云って、実次はぼくに頭を下げる。ぼくは涙を拭う。鼻声のまま、云う。
「そんな辞はいりません。その代わり、ぼくに優香理さんを返してください。ぼくが優香理さんを抱くことを、許してください」
 実次は沈黙する。暗がりを背景に仮面の陰影だけが浮かんで、なにをおもうのかわからない。
 再び定期船の汽笛が響く。ぼくは肩を震わす。もうとめることはできない。目に見えぬ歯車がゆっくりと回り始めたのだ。
<< 前のページ 戻る