R18恋愛官能小説 青山倉庫

人形地獄

第18話「吹雪のなかの脱走」


 吹雪の中、ぼくは屋敷の外へ出る。
 ぼくは全身を幾重にも防寒服で覆って、雪の積もったスロオプを歩く。ぼくは珠莉に、すぐそこまでだからと行って、ひとりで外出した。ぼくたちは、島の中では自由に行動できるけれど、独りで島の北側に行くことは許されていない。だけど、綾乃は砲台の鍵を持っていたから、ぼくはその鍵を懐に忍ばせる。
 ブウツに雪がこびりついて足が重い。一歩一歩、柔らかい雪を踏みしめながら、砲台へたどり着く。中へ入って、雪を落とす。廊下を歩いて、反対側へ出る。
 再び雪風に襲われる。
 小さな島の僅かな距離が、長い道のりに感じられる。一面、真っ白な雪に覆われて、目を開けているのがやっと。ぼくは集合住宅で吹雪の影になっている狭い道を通る。高台から、診療所の前に降りていく。途中で滑って転ぶ。雪まみれになる。
 診療所の玄関に入る。中はストオブが炊かれて、灯油の匂いが立ちこめる。お屋敷ほど暖かくはない。
「まぁ、雅之くん、こんな雪の中、どうしたの?」
 いつも受付で出迎えてくれる背の高い看護婦さんが、ぼくをみつけて駆け寄る。ぼくは雪を払って、外套を脱ぐ。分厚いマフラアから顔を出す。
「義輝さんに、お話があるのです」
「高瀬くんに?」
「はい、会ってもいいですか?」
 看護婦さんの表情に逡巡の色が浮かんで消える。どうぞ、と云う。看護婦さんは、ぼくと綾乃が義輝にどんな仕打ちをしたかしっているのだ。
 一階廊下のつきあたり。義輝の病室に入る。
 相変わらず体中に包帯をまかれ、シュウシュウと音をたてて呼吸する。ぼくを見つけると、包帯の隙間から覗く目が怯えて引き攣る。ぼくは寝台の傍ら、スツウルに腰掛ける。
「義輝さん、ぼくはひとりです」
 そう云うと、義輝は僅かに頷く。片手を挙げて、自分の口元の包帯を指し示す。湿った包帯は、義輝の顔をぐるぐる巻きにしていて、口の部分に突起がある。義輝は、それを引っ掻くように指を動かす。ぼくは腰を浮かして、手袋をはめたまま、義輝の包帯をかき分ける。口の突起はチュウブの差し込み口だ。
「なにしにきた」
 義輝が喋る。ぼくはてっきり義輝は喋れなくなったんだと思い込んでいた。
「訊きたいことが、あります」
「俺はなにも知らん」
「人形のことです」
「人形がどうした」
「ぼくの知っているひとから、お手紙が来たのです。ぼくに抱かれたひとは、人形になってしまうと…」
 義輝は黙っている。窓の外で、木に積もった雪がどさりと落ちる音がする。
「ぼくにはよく意味がわかりませんが、お屋敷のおんなのひとたちはみんなしっている様子です。もしかすると、知らないのはぼくだけかもしれません。義輝さんは、人形のことを、知りませんか?」
「どうして、俺に訊く」
「綾乃が、あなたに会ったあの日、お人形になったと云っていました。何かしっているんじゃありませんか?」
「綾乃に訊けばいいだろう」
「今までなにも教えてくれなかったのです。訊いても答えてくれるとはおもえません」
「フン、嘘をつけ。俺にだったら、相談したことが外に漏れないからだろう」
「それもあります…」
 義輝は溜息をつく。洗面台の蛇口からぴたぴたと水滴がしたたる。義輝は急に嗤う。
「カカカ、しかし滑稽だな。肝心の血を受け継いだ当人が、人形のことを何も知らんとは」
「血とは、なんです?」
 ぼくは身を乗り出す。
「淫蕩の血だよ。人魚の血だか股割れの血だか、よく知らんが、その血を受け継いだものは、怪物になるそうだ」
「カイブツ…」
「貴様のことだ、この淫乱め」
 ぼくは首を傾げる。
「それと、人形が、どういう関係なのですか?」
「怪物の精を胎内に注がれると、不老になると云う」
「としをとらないのですか?」
「ああ、だが死なないわけじゃない。事故や寿命で、やがて死ぬ。どれくらい生きられるかもわからん」
「病気で死ぬことも…」
「それは、ない。病気とか、薬物では死ねない」
「それは、素晴らしいことではありませんか? 病で死ぬこともなく、生涯若いままで居られるなんて」
「馬鹿を云え!」
 義輝は廊下にまで響くほどの大きな声で怒鳴る。ぼくは驚いて肩を竦める。
「人形になった奴は、人生を失う。貴様は人生の簒奪者だ。俺の妹を、見ろ! あいつはあの姿のまま、これから四十、五十年生きる。成長して、学んで、友達を作り、恋をして、嫁に行って、旦那に尽くして、子を授かって、一人前に育てて、そういう普通の人生が全くカラッポになるのだ。お前は都築の生業を知らないのだろう」
「都築さんの生業は、写真ではないのですか?」
「ハハッ、あいつが写真家なものか。奴は人形師だ」
「人形など、作っていませんよ」
「人形をつくっているのは、貴様じゃないか。貴様が人形にした幼い娘たちが、どうなるのか、想像ぐらいつくだろう。いいか、綾乃はお前がおもっているようなおんなじゃない。他の娘たちを人形と化す手助けをするような、怜悧で狡猾なおんなだ」
 看護婦さんが歩く足音。ぼくは声を潜める。足音は遠ざかる。義輝の病室はストオブのある待合室から一番遠くて、とても冷える。
「お姉様を強姦したとききました。それが原因で、お姉様は自殺されたと」
「自殺したのか…」
「はい、ご存じないのですか?」
「ああ、それは初めてきいた」
「綾乃は、あなたのことを、怨んでいるようです」
「恨みじゃなく、嫉妬さ。綾乃がどう語ったか知らんが、俺と志乃は愛し合っていた」
「志乃、お姉様ですか?」
「そうだ。俺がその種の愛の、業の深さを知ったとき、色々と手遅れだったのだ。志乃は子を孕んでいた」
 沈黙する。義輝は鼻を啜る。涙を流す。ぼくは黙っている。いつしか風は止み、牡丹雪がはらはらと降りそそぐ。今日の診療所は静かだ。大雪の日に、こんな小さな島で外に出るひとはいないのだろうか。
「俺たちの父は男爵だ。極めて峻厳な家庭にあって、俺と志乃の関係は綾乃の口から父に漏れた。俺は父に殺されると覚悟を決めたが、綾乃が俺たちを逃がすと約束した。三人で人形になるのだと云い、俺はあいつの罠にかかった。港の定期船に乗り、志乃が来るのを待っていたが、来たのは綾乃だけだった」
「三人で人形に…義輝さんも?」
「そうさ、俺も人形になった」
「でも…」
「おとこはみんなこうなるんだ。都築は知っていたんだろう。あの仮面の下をみたか? おそらく、手か顔に付着したものを拭ったのだ」
「ぼくは火傷の痕だとおもっていました」
「あのくらいならまだいい。俺は飲まされたんだ。そして三日三晩苦しみ抜いて、こうなった。俺はこのままとしをとらず、一生ここにつながれて生きていくのさ」
 そう云って、義輝はそっぽを向く。ぼくは黙って窓のそとを眺める。なにもかも真っ白。看護婦さんが推す銀のトレイがキイキイと不快な音を立てる。
「人形になった娘たちは、どうなるのですか?」
 ぼくの問いに、義輝はまた溜息をつく。
「貴様は思いの外、阿呆だな。オトコの慰み者になるに、決まっているじゃないか。おんなを人形に変えることを、ええと…、なんと云ったかな。忘れちまったが、そこで莫大な報酬が、都築の懐に入る仕組みだ。人形を手に入れたオトコは、好きなときに好きなだけ、楽しめるという算段だ」
「そんな…、残酷な」
「構うことはない。人形には失うものがないからな」

 ぼくは立ち上がる。外套を羽織る。
「なんだ、帰るのか」
 義輝が呟く。ぼくは震える声で云う。
「都築さんに、人形をつくることを、辞めさせます」
「無理だ、やめとけ。今度はお前が俺のように縛られることになるぜ」
「しかし、ぼくには大きな責任が…」
「そのとしで責任なんてあるかっ」
 義輝は震えながらからだを横にする。上半身を起こす。
「俺を、定期船に、乗せろっ」
「どうしたのです、急に…」
「いいことをおもいついた。俺は、俺自身が、ここで行われているおぞましい人形製造の生きた証拠だ。官憲に告発すれば、都築家の悪事は曝かれる」
「でも、そのカラダでは…」
「心配するな。俺は人形だ。そう易々と死なない、いいや、死ねないのだ」
 義輝はハァハァと荒々しく息をする。物凄い目付きでぼくを睨む。ぼくは怖くなって、肩を貸す。
 ぼくたちは一階の非常口から外に出る。まだ雪が降りそそぐ。両脚の骨が湾曲した義輝は、ひどく歩きにくそうだ。居住区を抜ける。剥き出しのモルタルはあちこちにヒビが走り、硝子は割れ、破れた組合の旗が力なく屋上から吊り下がる。全長一里もない小さな島の中で、こんな怖ろしい住居に棲まう人たちがいることをおもいだす。ぼくと優那と遥香も、こういう住居で育ったから、どれほど辛くて心細い生活かしっている。
 スロオプを下り、火の見櫓を通り過ぎると、そこはもう港だ。ぼくたち二人を隠す遮蔽物は何もない。ここから定期船の昇降板まで二十間はある。
「走るぞ、雅之」
 義輝がそう云う。ぼくは義輝をしっかり抱えたまま、定期船に向かって走り出す。半分ほど進んで転ぶ。義輝の息が上がる。ぼくは義輝を抱え起こして、再び走り出す。昇降板を伝って、定期船に乗り込む。義輝が云う。
「俺をボイラ室に連れて行け。あそこなら、隠れる場所はいくらでもある筈だ」
 ぼくらは雪を落とす暇もなく、誰かとすれ違わないかびくびくしながら、急な階段を下りる。廊下を歩く。ぼくたちが島へ来た時、この定期船の船員は数えるほどしかいなかった。もういちど降りる。ドアに貼られた銀色のプレエトは汚れていて、どこがボイラ室かわからなかったけど、石炭や油の匂いで目星をつけた。開けたドアの先は貨物室だったけど、義輝はここでいいと云う。ぼくは貨物室の麻袋の上に義輝を座らせる。
「大丈夫ですか? 随分辛そうです」
「心配するな。診療所で寝ていたところで、辛いことに変わりない」
「ぼくは、どうすれば…」
「お前は戻れ。診療所に戻って、裏口から入って、何食わぬ顔で出て行けばいい。俺の回診は夜に一度だけ。近頃は忘れられることだってあるんだ。しばらく放っておけば、誰も気づきゃしねえ」
 ぼくは立ちあがる。貨物室をでるとき、振り返る。義輝は麻袋の間に身体をねじ込んで、野良猫にそうするように、身振りでぼくを追い払う。
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