R18恋愛官能小説 青山倉庫

人形地獄

第12話「画家とヴァイオリン」


 夕暮れ時、スタヂヲの最上階にある西欧風の風呂場で、優那と遥香がおんなどうしで愛撫しあう光景を、実次が撮影する。湿気のある風呂場で撮影することはいままでに一度もなかったし、少女だけを撮影することも稀だった。実次は、ぼくが被写体でなければ、いつもの全身を覆う作業着を着ない。普段着のまま、濡れた床に膝をついて、低い位置から二人のからだを撮る。
 撮影を終えたばかりのぼくと綾乃は、お互いのからだをタヲルで拭く。さくらは今日の撮影がなかったから、珠莉と一緒に屋敷へいってしまう。義輝も、珠莉が屋敷へ連れ帰る。スタヂヲから新しいお屋敷までは緩やかなスロオプで結ばれ、車椅子を推して往来できるようだ。
「お兄様には、辛かったでしょうね…」
 ぼくは綾乃に云う。綾乃はぼくの腰に腕をまわしたまま、うつむく。
「構うことありませんわ」
「都築さんは、ときどきあのように、ぼくたちには理解できないことをするのです」
 綾乃は首を横に振る。
「いいえ、兄をスタヂヲに連れてきたのは、わたしの希望なのです」
「どうして、そのような…」
「お気になさらないで」
 綾乃は爪先立って、ぼくに口づけをする。綾乃はぼくやぼくの姉妹よりも背が低い。
 浴場の扉がひらく。濃い色の背広を着た晃さんが入ってくる。実次が片手を挙げる。晃さんがかるくお辞儀する。ぼくは警察署で面通しした日以来、晃さんに会っていなかった。あかい着物を手にとって、綾乃の肩にかける。二人で肌を寄せ合ったまま、木の長椅子に腰掛ける。
 晃さんは広い浴場を見渡して、バルコニイに出る。夕陽に染まる海原を眺める。戻ってくる。撮影中の優那と遥香に、戯けた様子で挨拶をする。優那と遥香はにっこり微笑む。晃さんは落ち着きなく歩き回って、やがてぼくたちの前に脚立をひろげて、腰掛ける。前後に揺れる。
「さくらは?」
 晃さんが訊く。ぼくはバルコニイのほうを振り返る。
「今日は撮影がありませんから、先にお屋敷へ戻りました」
「そうか…」
「さくらさんは、元気ですよ。以前のように悪態をつくこともなくなりましたし、それに、美しくなられました」
「そうか…」
「どうかされたのですか?」
「い、いや」
 晃はぼくと目を合わせようとしない。ぼくは全裸だったけれど、晃さんはぼくたちの撮影を何度かみている。はだかや、性行為に狼狽えるようなひとじゃない。
「雅之くん、なんで俺を売らんかった?」
 晃さんが顔をあげて訊く。ぼくは、ああそのことか、と合点する。
「ぼくにとっては、晃さんはさくらさんのお父様ですから…」
「そやけど…、俺がなにをしたか、わかっとるやろ」
「ええ、なんとなく。でも、それがどうしたのです。ぼくは誰も怨んでなどいません」
「俺は、お前たちの…」
「ああそうだ。晃さん、またヴァイオリンを聴かせてください」
「え?」
「ヴァイオリンです。たったいちど聴いた晃さんのヴァイオリンが、ぼくは好きなのです」
 晃さんは項垂れる。なんの話をしているかわからない綾乃は、首を傾げて微笑む。
「今夜、北の料亭で演奏をやる。都築さんに連れてきてもらってな」
 そう云って立ち上がる。
 実次は撮影を終えて、フィルムを巻き取る。写真機とフィルムを持って、実次は晃さんと共に現像室への扉へ消える。ぼくたちはそのまま取り残される。スタヂヲに向かう珠莉の姿を、窓の外にみつける。優那と遥香は、綾乃を挟んで椅子に座る。綾乃のあかい着物を剥ぐ。綾乃のからだを愛でる、愛撫する、おし倒す。おんなどうしで始まると、ぼくはあいだにはいることが難しくなる。晃さんが腰掛けていた脚立に座って、三人の行為をぼんやりと眺めるしかない。

 ぼくひとりを連れて、実次は島の北側にある小洒落た料亭をおとずれた。
 ぎざぎざの屋根飾りがついた西欧風の建物は、その背後にぼくが最初に泊まった宿泊所があって、その白い外壁に黒い建物の陰影が浮かび上がる。料亭の女中たちが表で実次に深くお辞儀をする。
 料亭のなかは薄暗く、定期船の船員と、背広を着た身なりの良い男性たちと、新しいお屋敷で見かけた新しい女中が数人、テエブルを囲んでいる。壁も衝立もない広い店内で、ぼくたちはステエジの裏側に近い席に案内される。ぼくたちの席には、既に白髪の老人が居座っている。実次が頭を下げる。
「玲庵先生、お久しゅう御座います。病気恢復のおもてむき、なによりと存じます」
 玲庵先生と呼ばれた老人は、まぁまぁ、と云って身振りでぼくたちに着席を促す。実次が先生の右隣の席について、ぼくは先生の向かいに座る。
「その子が、由恵の息子かね?」
 玲庵先生が訊く。
「はい、由恵は三つ子を産みましたから、姉と妹がおります」
「名はなんと云う?」
 玲庵先生は、身を乗り出してぼくに訊く。ぼくは顔を赧らめて答える。
「雅之、といいます」
「長友雅之か。深澤教授と同じ名だな」
 玲庵先生がそう言うと、実次は苦笑する。
「懐かしい名です」
「ところで、いい加減、先生はやめて欲しいな。私は貴君の学兄であって、今はただの絵描きに過ぎないのだ。今日は貴兄に招待されてここへ来たが、荒れ放題の孤島に連れて行かれるのではないかと、心配したぞ。嶺禅の遺産がかようなかたちで残っていようとは、いや、ただただ驚嘆した」
「ええ、那須野博士が防疫給水部に助成をお受けになられて、管理されていたそうです。けだし大金を費やされたに違いなく、こちらへお呼びしようと考えておりますが、この情勢の不安な折、休みをとることもままならぬようで…」
 ぼくたちの前に、女中たちが料理を運んでくる。お刺身、天麩羅、煮凝り、茶碗蒸し、桜の花弁を模した蒲鉾、どれも小皿にちょこんと上品にのっかって、大きなテエブルが瞬く間に皿で埋め尽くされてしまう。ぼくたちが箸をつけたとき、ステエジに二人の演奏家が現れる。ヴァイオリンを持った晃さんと、手風琴を抱えた女性。二人がお辞儀をすると、女中たちから拍手が湧く。背が高くて男前の晃さんは、女中たちに好かれている。
 演奏が始まる。聴いたことのない旋律。ヴァイオリンの柔らかな旋律がゆるやかに昇って堕ちる。そのおとに手風琴がふわりと混ざる。目を閉じると、優那と遥香をおもいだす。むかしのことをおもいだす。物心ついたとき、ぼくたちは既に愛し合っていた。いつからそうしていたか、おもいだせない。
「あれを頼みたい」
 玲庵先生が切り出す。実次の箸がとまる。
「娘たち、三人ともだ」
「よろしいのですか、ご説明差し上げたとおり…」
「連れてきている」
 実次はうつむいて、わかりました、と呟く。
 演奏を終えた二人が、船員と女中たちに挨拶する。ステエジを降りる。ぼくたちのテエブルに近づく。晃さんと女性がお辞儀をする。実次が、二人を玲庵先生に紹介する。
「下野優子さんと下野晃くんです。晃くんには、ときどき撮影の手伝いをして貰っています」
 玲庵先生はかるく会釈する。
「高名な綾川先生にお目にかかれて光栄ですわ。ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
 二人は実次の向かいに座る。男性の給仕が葡萄酒を持ってくる。二人にグラスを差し出して、黒い葡萄酒を注ぐ。流れるようなその動作に、いつか実次に連れられた芝居小屋の役者を想起する。
「わたくしたち、津々浦々で演奏活動をしております。いつも都築さんには、ポスタアの撮影をお願いしていますの」
「存じておりますよ。随分前だが、湯島の画廊でお会いしましたね」
「まぁ先生、覚えていらっしゃるの。確かに湯島様の画廊で演奏しましたわ」
「あの頃は、安西の絵で溢れていましたから、むしろわたしのほうが印象が薄かったでしょう。しかし、ははは、人の世は曼珠沙華のように脆く美しいものです」
 晃さんは煙草に火をつける。下野優子はさくらに似ている。腫れぼったい唇、臆病な光を湛えた瞳、微笑んだときにみせる八重歯、桜色の頬、鼻にかかった甘えた声、ひとつひとつはさくらに生き写しだったけれど、優子はずっと大人。美しいひとだった。さくらもとしをとったら、こんなに美しくなるのだろうか。そうおもうと、いつも漫然と抱いているさくらのことを、急に愛おしくかんじる。さくらは、ヴァイオリンや手風琴のおとにひどく興奮し、しとどに濡れる。だから、さくらを抱くときは、いつもなにかレコオドをかける。さくらにとって、音楽は情欲そのもののようだけれど、下野優子にとっては、どうなのだろう。
 ぼくがじっとみつめていることに気づいた優子が、にっこりと微笑む。
「都築さんの、養子かしら?」
「ええ、彼が長友雅之です」
「まぁ、この子が」
 優子は細い目を大きく見開いて、ぼくをしげしげとみつめる。ぼくは頬が熱くなるのをかんじる。
「安心しましたわ。わたくし、てっきりとしうえの、野獣のような方だと想像しておりましたから。これほどいとけない、お優しそうな子だとは…」
「さくらも打ち解けて、楽しく過ごしているそうだ」
 晃さんが口添えする。優子は微笑む。うつむいたまま、呟く。
「あの子には、もう会うことができないのね」
「そんなことはありませんよ」
 実次が云う。優子は淋しそうな表情で、微笑む。さくらも、こんな表情をする。
 水滴に覆われたグラスが、白いテエブルクロスに赤い光を落とす。
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