R18恋愛官能小説 青山倉庫

人形地獄

第8話「ふたつの別れ」


 ぼくと雅美は、女中の前山珠莉に連れられて、客間に入る。
 チェックのベストを着た優香理さんと、背広姿の那須野先生が並んで座る。那須野先生は立ち上がる。雅美は麗奈に教わった英国式のお辞儀をする。深緑のビロウドのドレスを着た雅美は、西欧の美少女のようで、とても半刻前までお別れの交わいに乱れていた娘とはおもえない。
「雅美、元気になったのだな」
「オトウサマ。実次様と雅之さまのお陰で、このとおり恢復致しましたわ」
 那須野先生はよろよろと雅美の前に進み出て、跪いて、雅美を抱いて、さめざめと涙を流す。男の人が泣くのをみたことがなかったから、ぼくはすこし驚く。後退って優香理さんをみる。優香理さんは独りうなづく。那須野先生は立ちあがって、ぼくに深々と頭をさげる。
「ほんとうに、ほんとうに、有難う」
 ぼくも首を垂れる。言うべき言葉がみつからない。
「雅之くんと、皆様のおかげです。今日、お礼を云うべき実次くんが不在なのが心残りだが、また日を改めてご挨拶に伺います」
 那須野先生は雅美を連れ立って、部屋を出る。ぼくたちも見送りにでる。運転手の佐喜治が那須野父娘に頭をさげる。傘をさす。雨が降り始めている。後部座席のドアを佐喜治が開いて、先生が乗り込む。雅美はドレスの裾を持ち上げて、ぼくたちのほうを振り返る。駆け寄る。雅美は、ぼくの頬にかるく口づけをする。
「さようなら、雅之。麗奈に会いたかったわ」
 そういって、車に戻る。車窓を開けて、手を振る。ぼくたちも手を振る。車が円形の噴水を半周して、走り去る。ぼくは、佐喜治の送迎車が見えなくなるまで、立ち尽くす。みえなくなっても、立ち尽くす。生ぬるい雨がさらさらと降りそそいで、着ているシャツがじっとりと重くなる。優香理さんが傘を差してくれて、ぼくに云う。
「戻りましょう。風邪をひいてしまうわ」
「ぼくは、平気です」
「雅美は、戻ってこないわ」
「わかってます…」
 優香理さんは沈黙する。雨粒が噴水の水槽におちる優しいおとに耳を澄ます。
 ふと、ぼくは顔をあげる。車のエンジン音。やがて木々の間に見えてくる自動車の影が花壇の脇を通り抜けて、噴水を周回して玄関先にとまる。佐喜治の車ではなく、黒い警察車両。真夏なのに、コオトを着た男性が降りて、鞄を傘にしてぼくらの前に走り寄る。
「すいません、城西警察の者です。都築家のご主人に、今署のほうにきて頂いてるんですがね、面通しが必要なので、長友由恵さんの息子さんに来て頂きたいのですが…。いらっしゃいますか?」
 優香理さんがなにか云う前に、ぼくが答える。
「はい、ぼくです」
「丁度よかった、一緒に来てくれるかな。すいません、お嬢さん、お坊ちゃんだけお連れしますので」
 優香理さんはぼんやりと、そうですか、と呟く。
 ぼくは警察車両の後部座席に乗る。窓から優香理さんを見る。ついさっき、雅美がそうしたように、ぼくも優香理さんに向かって手を振る。優香理さんも手を振る。淋しそうな表情でぼくをみつめる。

 警察署の地下は冷えていて、廊下を歩く足音が塗装の剥がれた壁にこだまする。
 安置所に入る。実次とは会っていない。背広を着た刑事さんが壁際に立ち、白衣を着た男性が錆びた寝台を曳いてくる。酷いにおいがする。白衣を着た男性がシイツをめくる。全裸のお母様が仰向けになっている。お腹にいっぱい刺し傷があって、腸がはみ出していて、スタヂヲで麗奈が嘔吐したときのような、きがくるいそうなにおいが蔓延する。
「お母様ですか?」
 白衣の男性が訊く。ぼくは頷く。顔を背ける。もうみたくない。
「ついてきなさい」
 刑事さんがぼくに云う。刑事さんの後について、階段をのぼる。蒸し暑い廊下を歩いて、突きあたりから渡り廊下を歩く。外はまだ雨が降っている。別の建物に入る。暗くて、狭くて、酷く暑い部屋にはいる。額から汗がながれる。部屋の壁には小さな窓がついていて、カアテンがかかっている。刑事さんがぼくを抱えて、ちいさな踏み台にのせる。
「雅之くん。最後にお母さんに会ったのは、いつかな?」
「先週です。スタヂヲで…」
「どんな様子だった?」
「いつもと、お変わりありませんでした」
 刑事さんは顎をさすって、カアテンの隙間から向こうをみる。
「お母さんは、いつも、ひとりで都築家を訪れていましたか?」
 ぼくは首を傾げる「いいえ、男のひとが一緒でした」。
「その男の人のことは、覚えているかい?」
「はい…」
「今から、この窓の向こうに、男の人たちが並んでいるのを見せるからね。その中に、お母さんといつも一緒にいた人がいれば、指をさしてごらん。心配しなくても、向こうからこちらは見えないからね」
 ぼくは頷く。
 刑事さんはカアテンをひらく。明るい部屋のなか、白い壁を背にして、六人の男の人が並んで立つ。知らない男の人たちばかりだとおもったけれど、一番右端に晃さんが立っている。ぼくは右端から左端まで、ひとりずつ、じっと観察する。二度、三度、観察する。そして、刑事さんに云う。
「この中には、いません…」

 ぼくは聴取を受けた後、待合室で実次と会う。
 刑事にしばらく待てと云われる。ぼくは実次の向かいに座る。実次は、懐から取り出した煙草に、テエブルのマッチで火をつける。
「みましたか…、きみのお母様」
 ぼくは頷く。
「かなしくは、ないですか?」
「ひどい、においでした」
「それだけですか?」
「はい…」
 実次は天井を仰ぐ。降り続ける雨はいつしか大降りとなり、雨樋を流れる水の音がゴウゴウと響く。待合室の壁には、駒井哲郎の版画と、綾川玲庵の油絵が並べて飾られる。農村の風景を描いた油絵よりも、異世界のような版画に目を奪われる。
「きみと二人の娘を十ヶ月も腹の中で育てたのです。ひどいにおいでは、憐れでしょう」
 ぼくは両手で顔を覆う。わからない、あれが、お母様なのか、わからない。
「ぼくたちには、お母様しかいませんでしたから…」
 紫煙がのぼる。天井にぶら下がる埃と脂にまみれた扇風機が、カラカラと不穏な音を立てて首を振る。
「ぼくたちのお父様は、ほんとうに亡くなったのですか?」
「ええ、そうです」
「どうして、亡くなったのですか?」
「知らないのですか」
「心臓の病だったと、お母様に訊きました」
 実次は乾いた声で嗤う。煙草を消す。
「違うのですか?」とぼくは訊く。
「違います、その話は嘘です」
「ほんとうは、どうして亡くなったのですか?」
 装飾の施された実次の仮面に、ぼくの顔が歪んで映る。いつも異様にみえていたその右半分の仮面も、近頃は実次の顔になじんでみえる。僅か半分でも表情を隠すのにじゅうぶんな大きさだから、剛胆で率直な実次でさえ、なにを考えているのかわからなくなる。
「殺されたのです」
「エッ、エッ、ほんとうに?」
 唐突な実次のことばに、ぼくは酷く狼狽する。汗をかく。
「由恵は、六人きょうだいだったことを、しっていますか?」
「はい、幼い頃に、お母様に話して頂きました」
「男三人、女三人、そして父は狂人画家で名を馳せた長友秀麗。秀麗は男女の乱交や腐乱屍体、そしてサナトリウムの狂人たちを描き、画壇から弾劾排斥された若き天才なのですが、妾に産ませた六人の息子と娘たちを幼い頃から乱交させ、その光景を死ぬまで描いていたと伝えききます。
 私もそれほどこの事件に審らかではないのですが、娘たちは妊娠し、血を分けたきょうだいの子を産み、それでも尚その生活に終わりはありませんでした。やがて成長した三人の息子たちは互いに罪の意識に目覚め、その罪をお互いになすりあうようになります。ある日、長兄の達也は鍬を、次男の洋一は刀を、末弟の颯太は猟銃を持って互いに殺しあう…。永代事件として、ここの城西警察署でも知らないものはいない。津山で起こった三十人殺しに匹敵する猟奇事件だったのです。
 そのなかで産まれたのが、きみたち三人。由恵には二人の妹が居て、蓮香と朱理の二人も出産したのち、それぞれちりぢりバラバラになってしまいました。貴族出の長友家は、狂った秀麗の死を以て没落したのです」
 ぼくは自分には関係のない話をきいているような気分で、ぼんやり天井をみあげる。遠くの部屋で誰かがずっと咳をしている。ラジヲから音楽が流れる。憂鬱な手風琴の頽廃に充ちた調べ。
「ぼくたちは、きょうだいから産まれた、忌まわしいこどもなのですか?」
「そうですね…。長友家は、まぁそういう手合いが多いようです。畸形も多く産まれている。きみたちがそれほど美しく産まれ育ったことは、幸運だったと云うほかないでしょう」
 待合室のドアが開く。地下の安置所と面通しに案内してくれた刑事さんがはいってくる。
「お待たせしました。車の用意ができたので、もうお帰りになっても構いませんよ」
 ぼくたちは席を立つ。部屋を出る。蒸し暑い廊下を歩いて、駐車場へ出る。土砂降りの雨が、砂利を押し流し、緩やかなスロオプが川と化す。
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