R18恋愛官能小説 青山倉庫

びろうどカンヴァス

第6話「良一の提案」


 夕方、お風呂からあがって脱衣所でほとみとからだを拭きあっていると、琴音がぱたぱたと駆けてくる。
「直央さま、ほとみお嬢様、お客様がおいでです。果凛様と咲月様はもうご準備なされていますから、お早く、お早く」
 そう言って琴音はぼくたちを急かす。ぼくたちは部屋に戻って、琴音に服を着せて貰う。普段着の甚平や浴衣ではなく、余所行きの洋服。ぼくはタイを締める。初音よりも琴音は手際が良いけれど、少し乱暴だ。ぼくは襟とタイの歪みを姿見の前でなおす。琴音に手を引かれて、ほとみと一緒に部屋を出る。洋館の方へ歩く。客間の前で、果凛と咲月が待っている。客間から、聞き覚えのある笑い声がする。
「旦那様、お待たせしました」
 琴音がドアを開ける。並んでその後に続く。マホガニイの切り株テエブルを挟んで、玲庵先生と皆藤良一がソファに腰掛ける。ぼくたちはお辞儀をしてご挨拶する。良一はパイプを吹かしながら、よう、と一言だけ発する。玲庵先生は難しい表情で俯いている。このところ、先生はめっきり老け込んだ。
「その、スペエスを分けるというのは、具体的にどう分けるのだ」
 先生が尋ねる。皆藤さんが答える。
「今の特設ステエジを全部取っ払って、新進の画家たちに分け与えたいとです。何せ今の状況ですと、うちのギャラリイは先生のための個展を常設しとるような状態で、客足が鈍るばかりです」
「特設ステエジは、得意客へのもてなしだ」
「ああ、それなんですがね、今まで一部の顧客にしか売買しとらんかったあの絵ば、地下の秘密の展示場に飾りたいとです。もっと多くの有力な顧客を獲得しておかんといけん。画廊としても強力なパトロンが欲しい時期ですけん」
「あの絵を展示すると、価値が下がる」
「そげんことなかでしょ」
「かの連作は幻という噂が価値を高めているのだ。それがおいそれと展示されると、幻ではなくなる。私がいくら佐久間総監と旧知であろうと、摘発されてしまうだろう」
「地下の展示室には、財力と地位を持つ限られた顧客に、一度にひとりずつしか入室させません。佐久間さんもいらっしゃいますよ。心配いらんと思いますがね」
「この件、湯島夫人は知っているのか」
「もちろんです。それに、もうひとつ別のパフォオマンスば、考えとるとです。直央くん」
 皆藤さんがぼくを呼ぶ。ぼくは皆藤さんの前に立つ。皆藤さんはぼくの肩に手を置いて、玲庵先生の方にむき直させる。
「絵の案内を、直央くんにお願いしようかとおもとります」
「ふざけるな」
「大真面目ですばい。モデル自身が解説を行う秘密の絵画、これが目玉ですけん。直央くんは、貴族の出ですやろ。こげん美貌に恵まれた男児ば、こげん屋敷ん中に軟禁しとるのはもったいなか」
 部屋を出た琴音が、お盆に飲み物を載せて戻ってくる。皆藤さんはお礼を言って、湯気の立つ紅茶にすこし口をつける。立ち上がる。
「この件、考えとって下さい。先生さえ了承していただければ、すぐにでも準備にかかりますけん」
 そう言って、皆藤さんはぼくの頭をくしゃくしゃと撫でる。部屋を出ようとする。部屋に入ろうとした朱理と鉢合わせる。皆藤さんは、あっと声を上げる。朱理は深々とお辞儀をする。皆藤さんは、どうも、と低い声を発して、部屋を出る。取り残されたぼくたちは、どうして急いで呼ばれたかわからず、不機嫌な先生の顔色をうかがう。先生はぼくたちを一瞥して、別の扉から部屋を出る。

 初夏の日差しに照らされた庭のあじさいと梅の木は、春先の若々しさを失って、凶暴な艶に覆われる。それを縁側に座って眺める朱理をみつける。ぼくはそっと背後から近寄る。となりに腰掛ける。玲庵先生がぼくたちに譲って下さったラヂヲから、暖かい手風琴の音楽が流れる。
「皆藤さんを、しっているのですか?」
 ぼくはぽつりと聞く。朱理は少し顔を上げる。
「女学校時代、あの方は美術教師でした」
「そうなんですね。親しかったのですか?」
「いいえ」
「ぼくは皆藤さんのことは嫌いじゃありませんよ。さばさばしてますし」
「あの方の言葉がそう思わせるのでしょう」
「九州なのですか?」
「鹿児島だと聞きました。わたくしが女学校を卒業する年に教師をお辞めになって、外国へ留学すると聞き及んでいましたが…」
 一番背の高いケヤキにとまったニイニイゼミが、チー…ジー…と繰り返す。
「今日、先生と喧嘩しているようでした」
「どのようなお話しだったのですか?」
「途中からしか聞いていないので、よくわかりません。ぼくたちがモデルの絵を地下室に展示して、とくべつなお客様にみせるそうです。その絵の案内を、ぼくが頼まれました」
「まぁ…」
 朱理の白い着物に刺繍された藍色の紋様に目を落とす。朱理はぼくの手をとる。
「おとなは興味本位の醜い欲望をもっていることがあるのです。もしそのようなものを目にしても、表情に出してはいけませんよ」
「どうしてですか?」
「おとなは自分の醜さに気づくことを、とても恐れているのです。見て見ぬふりをするのです、自分のためにも」
「わかりました…」
 ぼくは朱理の瞳を見つめる。ぼくと同じように、年齢のわりに幼く、端正な顔立ち。朱理のちかくに寄り添ったのは初めてだ。あの晩の告白を立ち聞きしたにも関わらず、ぼくには朱理が自分を産んだなどとは到底信じられない。
 蝉が飛び立つ。ラヂヲが正午のニュースを流す。そろそろ午後の写生の時間。ぼくと朱理は一緒に立ち上がる。座敷へ向かう。
<< 前のページ 戻る